敬語 させていただく 成り立ちを知れば、使い方も変わる

「させていただく」という言葉の成り立ち

「○○させていただきます」は、〇〇という動作を自分がすることの許可、指示、依頼を、相手から受け、それにより自分は恩恵を受ける、という場合に使用する敬語です。

「させていただく」は、その成り立ちを理解すれば、より使いこなせるようになります。

 今回は、「させていただきます」の成り立ちを記します。

今すぐの使用はこちら → 「させていただきます」と「いたします」の使い分け 今すぐわかる  

〇〇させていただく 

→ ○○には、動作の意味が入ります。

 「させ」は「させる」で、古語の「さす」が現代語となったものです。古語「さす」の使役、受身、尊敬、謙譲の意味が生きています。「使役」とは、ある動作を人に行わせたり、ある事態を引き起こさせたりする意です。「させていただく」は、相手の指示や許可により、○○するわけです。それは、相手からすれば、「○○させ」ることで、こちらからすれば、「○○させ」られることです。しかしながら、こちらは、へりくだって、あくまでも「○○させていただく」と意思表示するのです。尊敬、謙譲、使役、受身は表裏の意味なのです。 

 「て」は、前後の意味をつなぎます。

 「いただく」は、「もらう」の謙譲語です。

 「○○させていただく」は、自分の動作を謙遜(けんそん)し、対する相手を敬う謙譲表現となります。

「○○てもらう」から、「○○させていただく」がわかる

 ここで、「○○させていただく」の理解のために、「〇〇てもらう」という表現について触れます。

「○○てもらう」の例をあげれば、「見てもらう」、「押してもらう」、「分析してもらう」等等。

 ここの、「見」る、「押」す、「分析」するは、他者の動作ですね。

 誰かに「見てもらう」、誰かに「押してもらう」、誰かに「分析してもらう」わけです。

「○○てもらう」とは、他者の動作によって、自分が恩恵を受ける意味となります。

 その「○○てもらう」の「て」の前に、助動詞「させる」が付いたのが、「○○させてもらう」で、その謙譲表現が、「○○させていただく」なんです。

「○○させてもらう」、「○○させていただく」の、〇〇の動作は、自分の動作となります。

 だから、「○○させていただきます」は、相手から、〇〇という動作をすることの許可、指示、依頼を受けて、自分自身がその動作をする、という意味になるんです。

 そうして、自分自身が恩恵を受ける、という意味に。

 これが、「○○させていただく」という敬語の成り立ちです。

そもそも、「させていただく」は、強い上下関係の世界の中の言葉

 そもそも、「させていただく」は、強い上下関係のある世界の中で使われていた言葉です。

 強い上下関係のある世界とは、ある動作を行うことが自分では望まないことであったり、それをすることで、自分に恩恵があるわけではなかったりする場合でも、「させていただく」という言い方をする世界です。 

 とんでもない指示や命令を受けても、「はい。喜んで、そのようにさせていただきます」と。

  強い上下関係のある世界などというものは、下位の者が思考停止しなければ成り立たない世界でもあります。

 なにしろ、優れた君主、上官、上司ばかりではない。

 すばらしい仕事内容とも限らない。

 権謀術数(けんぼうじゅっすう)もあるでしょう。(権謀術数とは、人を欺【あざむ】くはかりごとです。)

 理不尽さも、ついてまわります。(理不尽とは、道理にあわないことです。)

 そういう世界は、思考停止しなければ、生きていけないところもあるわけです。

 そんな世界での「させていただきます」は、「思考停止の言葉」ともいえるのです。

「させていただく」は、思考を働かせなければいけない言葉

 しかしながら、現代社会においても、上司やお客等、他者からの、とんでもない、指示や依頼はあるものです。

 そんな指示や依頼を受ける場合は、よく考えましょう。

 それをすることで、自分は恩恵を受けるのか。

 それは、自分の望むことなのか。

 そして、もし、そうではなかったら、「させていただきます」などという言葉は使わないことです。

「させていただきます」は、思考を働かせて使わなければいけない言葉です。

 あなたの言葉は、あなた自身のものです。 

 それは、あなたの思考であり、あなたという存在そのものです。  

 自分自身を大切にしましょう。

言葉は、双方向からの敬意で生きる

「ご用意させていただきます」というのか。

「ご用意いたします」というのか。

「ご用意します」というのか。

それは、自分自身の考え次第です。

ちなみに、「ご用意いたします」も、「ご用意します」も、立派な謙譲語です。

しかしながら、どんな敬語も、心をこめなければ、光ることはありません。

敬語に限らず、言葉(コミュニケーション、読書、記述等等)というものは、双方向からの敬意があってこそ生きます。 

2021年4月1日「雑記帳」

Posted by 対崎正宏