源氏物語 愛宕(をたぎ)の煙 桐壺 その10 原文と現代語訳
原文
限りあれば、例の作法(さほふ)にをさめ奉(たてまつ)るを、母北の方、同じ煙に上(のぼ)りなむと、泣きこがれ給(たま)ひて、御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて、愛宕(をたぎ)といふ所にいと厳(いかめ)しうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。「空(むな)しき御骸(から)を見る見るなほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしう宣(のたま)ひつれど、車よりも落ちぬべう惑ひ給へば、さは思ひつかし、と人々もて煩(わづら)ひ聞(きこ)ゆ。
原文と現代語訳
限りあれば、例の作法(さほふ)にをさめ奉(たてまつ)るを、母北の方、同じ煙に上(のぼ)りなむと、泣きこがれ給(たま)ひて、御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて、愛宕(をたぎ)といふ所にいと厳(いかめ)しうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。
いくら悲しんでも名残(なご)りが惜しくても物には限度があって、(いつまでも御遺骸をそのままにしてはおけないから、)型通りの方式でお葬(ほうむ)り申し上げるのを、母君の北の方は、娘と同じ火に焼かれて一緒に死にたいと、お泣きこがれになって野辺のお送りをする女房の車に、あとを慕うようにしてお乗りになって、愛宕という所で、大変荘厳(そうごん)な斂葬(れんそう)の儀式(をおこなっているところ)に、ご到着なさった、その気持ちはどんなであったろう。
「空(むな)しき御骸(から)を見る見るなほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしう宣(のたま)ひつれど、車よりも落ちぬべう惑ひ給へば、さは思ひつかし、と人々もて煩(わづら)ひ聞(きこ)ゆ。
(北の方は)「どうにもならぬ亡骸(なきがら)を目の前に見ながら、それでもやはり(更衣が)生きておいでになるものとつい思うのが、本当に詮ないことであるから、いっそ灰になられるところを拝見して、今こそこの世にいないのだと、一途(いちず)にそう思いこんでしまおう」と、(ご出発前には)健気(けなげ)におっしゃったのだが、(その場に臨んでは、)車から落ちてしまいそうにお取り乱しになるので、多分こういうことになると思っていたら、案の定だったことよ、と女房達はもてあまし申し上げる。
現代語訳
いくら悲しんでも名残(なご)りが惜しくても物には限度があって、(いつまでも御遺骸をそのままにしてはおけないから、)型通りの方式でお葬(ほうむ)り申し上げるのを、母君の北の方は、娘と同じ火に焼かれて一緒に死にたいと、お泣きこがれになって野辺のお送りをする女房の車に、あとを慕うようにしてお乗りになって、愛宕という所で、大変荘厳(そうごん)な斂葬(れんそう)の儀式(をおこなっているところ)に、ご到着なさった、その気持ちはどんなであったろう。(北の方は)「どうにもならぬ亡骸(なきがら)を目の前に見ながら、それでもやはり(更衣が)生きておいでになるものとつい思うのが、本当に詮ないことであるから、いっそ灰になられるところを拝見して、今こそこの世にいないのだと、一途(いちず)にそう思いこんでしまおう」と、(ご出発前には)健気(けなげ)におっしゃったのだが、(その場に臨んでは、)車から落ちてしまいそうにお取り乱しになるので、多分こういうことになると思っていたら、案の定だったことよ、と女房達はもてあまし申し上げる。
※斂葬(れんそう)の儀式とは、天皇・皇族の本葬のこと。
語句の意味・用法
限りあれば、例の作法(さほふ)にをさめ奉(たてまつ)るを、母北の方、同じ煙に上(のぼ)りなむと、泣きこがれ給(たま)ひて、御送りの女房の車に慕ひ乗り給ひて、愛宕(をたぎ)といふ所にいと厳(いかめ)しうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。
をさめ奉る
墓に納める。葬(ほうむ)り申す。
上りなむ
「な」は、完了の助動詞「ぬ」の未然形。
「む」は、意志・希望。
上ってしまいたい。
泣きこがれ
泣き焦がれ
心(むね)の火に、胸が焦げること。悩みもだえる意。
「こがれ」は、「煙」の縁語になっています。煙・こがる・慕ひ(火)。
慕ひ乗り
あとを追いかけるようにして、最初は乗るつもりはなかったのに、女房達の出かけるのに心がひかれて乗って、といった意。
愛宕(をたぎ)
愛宕の珍皇寺、愛宕の念仏寺。
いかばかりかは
「か」は、反語ではなく、疑問的な詠嘆。
どんなでかまあ、といった意。
「空(むな)しき御骸(から)を見る見るなほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になり給はむを見奉りて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしう宣(のたま)ひつれど、車よりも落ちぬべう惑ひ給へば、さは思ひつかし、と人々もて煩(わづら)ひ聞(きこ)ゆ。
骸(から)
骸(から)は、空(から)の意。魂の去った死骸。
見る見る
見る動作のくりかえし。見い見い。
おはするものと思ふが、いとかひなければ
「おはす」は、いる・ある・行く・来るなどの敬語。
「おはす」に「ます」を添えて、「おはします」となると、一層敬意が強まります。
ここの「思ふが」の「が」は、主格を表す格助詞。「かひなければ」の主語になっています。
「かひなければ」は、形容詞已然形「かひなけれ」+接続助詞「ば」の形。「から」「ので」と訳します。
※仮定の「たら」「なら」と訳すのは、未然形+ばの形のときです。
ひたぶるに
一向、一途にの意。
思ひなり
「思ひなる」は、思いこむ意。
さかしう
気丈に、健気(けなげ)に、といった意。
さは思ひつかし
ここの「は」は係助詞。副詞の「さ」を強調しています。「そうであるとは思っていたのだ」。
もて煩(わづら)ひ聞(きこ)ゆ
持て余し(扱い悩み)申し上げる、といった意。
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