源氏物語 御胸のみつとふたがりて 更衣の逝去 桐壺 現代語訳 その9
更衣の逝去 桐壺その9です。
原文、現代語訳、そして語句の意味・用法、と記していきます。
原文
御胸のみつと塞(ふた)がりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせ給ふ。御使(おつかい)の行き交ふ程もなきに、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを、「夜中うち過ぐる程になむ、絶えはて給ひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞召(きこしめ)す御心惑(まど)ひ、何事も思召(おぼしめ)し分かれず、籠もりおはします。
御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかる程に侍ひ給ふ例なき事なれば、罷(まか)で給ひなむとす。何事かあらむとも思したらず、侍ふ人々の泣き惑ひ、上も御涙の隙(ひま)なく流れおはしますを、あやしと見奉り給へるを、よろしき事にだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
原文と現代語訳
御胸のみつと塞(ふた)がりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせ給ふ。
(帝は)御胸ばかりぐっとふさがって、少しもとろとろとおやすみになれず、短い夏の夜をもてあましておいでになる。
御使(おつかい)の行き交ふ程もなきに、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを、「夜中うち過ぐる程になむ、絶えはて給ひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。
お見舞いのお使いが行ってからまだ帰参する間もないのに、やはりもう気がかりでたまらないお気持ちを際限もなく仰せられたのに、(里では)「夜中ちょっと過ぎる頃にとうとうお亡くなりになってしまいました」と言って泣き騒ぐので、訪れた御使いも、たいそうがっかりして宮中へ帰ってきた。
聞召(きこしめ)す御心惑(まど)ひ、何事も思召(おぼしめ)し分かれず、籠もりおはします。
(その報せ)をお聞きとりあそばす帝の御心の乱れ、何が何やら御分別もつかず、ただお部屋にとじこもっておいでになる。
御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかる程に侍ひ給ふ例なき事なれば、罷(まか)で給ひなむとす。
(帝は)御子をば、このまま宮中にとどめて御覧になりたいのは山々であるけれども、母君の喪中に(その御子が)宮中においでになるのは、例のないことなので、(更衣の里に)退出してしまおうとなさる。
何事かあらむとも思したらず、侍ふ人々の泣き惑ひ、上も御涙の隙(ひま)なく流れおはしますを、あやしと見奉り給へるを、よろしき事にだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
(幼い若宮は)何事があろうとも思ってはいらっしゃらないで、お側の人々が泣き惑い、帝もお涙が絶え間なく流れていらっしゃるのを、不思議なことだとお見申し上げていらっしゃるにつけても、尋常の場合ですらもこうした親子の別れというものは悲しくないことはないことだのに、(今、帝は最愛の御息女を、そして御子はかけがえのない母君を失ったのであるから、)まして身にしみて悲しく、何ともかとも言いようのない次第である。
現代語訳
(帝は)御胸ばかりぐっとふさがって、少しもとろとろとおやすみになれず、短い夏の夜をもてあましておいでになる。
お見舞いのお使いが行ってからまだ帰参する間もないのに、やはりもう気がかりでたまらないお気持ちを際限もなく仰せられたのに、(里では)「夜中ちょっと過ぎる頃にとうとうお亡くなりになってしまいました」と言って泣き騒ぐので、訪れた御使いも、たいそうがっかりして宮中へ帰ってきた。(その報せ)をお聞きとりあそばす帝の御心の乱れ、何が何やら御分別もつかず、ただお部屋にとじこもっておいでになる。
(帝は)御子をば、このまま宮中にとどめて御覧になりたいのは山々であるけれども、母君の喪中に(その御子が)宮中においでになるのは、例のないことなので、(更衣の里に)退出してしまおうとなさる。(幼い若宮は)何事があろうとも思ってはいらっしゃらないで、お側の人々が泣き惑い、帝もお涙が絶え間なく流れていらっしゃるのを、不思議なことだとお見申し上げていらっしゃるにつけても、尋常の場合ですらもこうした親子の別れというものは悲しくないことはないことだのに、(今、帝は最愛の御息女を、そして御子はかけがえのない母君を失ったのであるから、)まして身にしみて悲しく、何ともかとも言いようのない次第である。
語句の意味・用法
御胸のみつと塞(ふた)がりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせ給ふ。
「のみ」 → 強調の副助詞
「つと」 → ひしと。じっと。動かず移らぬさま。
「つゆまどろまれず」 → つゆ~打ち消しの語 → 少しも、全然~ない。
御使(おつかい)の行き交ふ程もなきに、なほいぶせさを限りなく宣はせつるを、「夜中うち過ぐる程になむ、絶えはて給ひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。
「行き交ふ」→ ①二つのものが行きちがう ②一人が、往き来、行き来する → ここは、②の意。
「あへなくて」→ はりあいもなく、力を落として。「敢(あ)ふ」は、無理に力を張りつめる意。
聞召(きこしめ)す御心惑(まど)ひ、何事も思召(おぼしめ)し分かれず、籠もりおはします。
「思召し分かれず」→ 「分く」は、分別する、判断するの意。
御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかる程に侍ひ給ふ例なき事なれば、罷(まか)で給ひなむとす。
「かかる程に侍ひ給ふ」→ 喪中に、宮中にいらっしゃること。
「侍ひ給ふ」が、「例なき事なれば」の主部になっています。 → 「宮中においでになるのは、例のないことなので」
何事かあらむとも思したらず、侍ふ人々の泣き惑ひ、上も御涙の隙(ひま)なく流れおはしますを、あやしと見奉り給へるを、よろしき事にだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
「何事かあらむとも」→ 何事があろうとも、何があるのかしらとも。 → 死別の意味もわからない若宮の幼さをいっています。
「思したらず」「 見奉り給へるを」→「たり」「り」は、完了の助動詞。「~ている」の意。 → 「たり」は連用形に接続。「り」は四段の已然形とサ変の未然形に接続。
「言ふかひなし」→ 言っても仕方ない。言っても役に立たない。 → 相慰めるところの親子だが、若宮はまだほんの幼子で、なおさら何とも言いようのない次第である、ということ。
続きは、こちら → 源氏物語 愛宕(をたぎ)の煙 桐壺 その10 原文と現代語訳