源氏物語 惟光が兄の阿闍梨 原文と現代語訳 夕顔 その4
紫式部の「源氏物語」、「夕顔」の、その4です。
原文、現代語訳、語句の意味・用法、と記していきます。
原文
惟光が兄の阿闍梨(あざり)、婿(むこ)の参河(みかわ)の守(かみ)、女(むすめ)など渡りつどひたる程に、かくおはしましたるよろこびを、またなき事にかしこまる。尼君も起きあがりて、「惜(を)しげなき身なれど、棄て難(がた)く思う給(たま)へつることは、ただかく御前(みまへ)に侍(さぶら)ひ御覧ぜらるる事の変り侍りなむことを、口惜(くちを)しく思ひ給へたゆたひしかど、忌む事のしるしに蘇りてなむ、かく渡りはおはしますを見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀仏(あみだほとけ)の御光(みひかり)も、心清く待たれ侍るべき」など聞えて、弱げに泣く。「日頃おこたり難くものせらるるを、安からず歎き渡りつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれに口惜しうなむ。命長くて、なほ位高くなども見なし給へ。さてこそ九品(ここのしな)の上(かみ)にも障(さはり)なく生れ給はめ。この世にすこし恨(うら)み残るは、わろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみて宣(のたま)ふ。
原文と現代語訳
惟光が兄の阿闍梨(あざり)、婿(むこ)の参河(みかわ)の守(かみ)、女(むすめ)など渡りつどひたる程に、かくおはしましたるよろこびを、またなき事にかしこまる。
惟光の兄の阿闍梨や、妹婿の三河の守や、妹たちが寄り集まっている折で、こうして(源氏が)おいでになってくださった喜びを、無上のことと恐縮する。
尼君も起きあがりて、「惜(を)しげなき身なれど、棄て難(がた)く思う給(たま)へつることは、ただかく御前(みまへ)に侍(さぶら)ひ御覧ぜらるる事の変り侍りなむことを、口惜(くちを)しく思ひ給へたゆたひしかど、忌む事のしるしに蘇りてなむ、かく渡りはおはしますを見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀仏(あみだほとけ)の御光(みひかり)も、心清く待たれ侍るべき」など聞えて、弱げに泣く。
尼君も床から起き上がって「(私は尼になってこの世に)未練もない身ですけれど、出家いたしがたく思いましたことは、ただこう御前に侍してお目通りを給いましたことができなくなるでしょうことが、残念で(世を捨てることに)躊躇いたしておりましたが、戒を受けたしるしによって命拾いをしまして、このようにおいでくださっているのを拝しましたので、もう今では阿弥陀仏のお迎えも、心おきなく待つことができるでございましょう」などと申し上げて弱々しく泣く。
「日頃おこたり難くものせらるるを、安からず歎き渡りつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれに口惜しうなむ。命長くて、なほ位高くなども見なし給へ。さてこそ九品(ここのしな)の上(かみ)にも障(さはり)なく生れ給はめ。この世にすこし恨(うら)み残るは、わろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみて宣(のたま)ふ。
(源氏の君は)「日頃、病状がはかばかしくないのを心配し嘆きつづけておりましたが、今はまたこのように世に逃れる尼の姿になっておられるので、大層、悲しく残念です。長生きをして、わたくしの官位が更に高くなるところなどをも見ていてください。そうしてこそ極楽往生もやすやすと遂げられることでしょう。この世に少しでも執着が残るのは、よくないことだと聞いています」など、涙ぐんで仰せられる。
現代語訳
尼君も床から起き上がって「(私は尼になってこの世に)未練もない身ですけれど、出家いたしがたく思いましたことは、ただこう御前に侍してお目通りを給いましたことができなくなるでしょうことが、残念で(世を捨てることに)躊躇いたしておりましたが、戒を受けたしるしによって命拾いをしまして、このようにおいでくださっているのを拝しましたので、もう今では阿弥陀仏のお迎えも、心おきなく待つことができるでございましょう」などと申し上げて弱々しく泣く。(源氏の君は)「日頃、病状がはかばかしくないのを心配し嘆きつづけておりましたが、今はまたこのように世に逃れる尼の姿になっておられるので、大層、悲しく残念です。長生きをして、わたくしの官位が更に高くなるところなどをも見ていてください。そうしてこそ極楽往生もやすやすと遂げられることでしょう。この世に少しでも執着が残るのは、よくないことだと聞いています」など、涙ぐんで仰せられる。
語句の意味・用法
惟光が兄の阿闍梨(あざり)、婿(むこ)の参河(みかわ)の守(かみ)、女(むすめ)など渡りつどひたる程に、かくおはしましたるよろこびを、またなき事にかしこまる。尼君も起きあがりて、「惜(を)しげなき身なれど、棄て難(がた)く思う給(たま)へつることは、ただかく御前(みまへ)に侍(さぶら)ひ御覧ぜらるる事の変り侍りなむことを、口惜(くちを)しく思ひ給へたゆたひしかど、忌む事のしるしに蘇りてなむ、かく渡りはおはしますを見給へ侍りぬれば、今なむ阿弥陀仏(あみだほとけ)の御光(みひかり)も、心清く待たれ侍るべき」など聞えて、弱げに泣く。
惟光が兄の阿闍梨(あざり)、婿(むこ)の参河(みかわ)の守(かみ)、女(むすめ)など渡りつどひたる
阿闍梨、惟光、少将の命婦、三河守の妻は、大弐の乳母の子どもたちです。
大弐の乳母
━━阿闍梨
━━惟光
━━少将の命婦(みょうぶ)
━━三河守の妻
思う給(たま)へつることは
「思う」は「思ひ」のウ音便。
「給へ」は下二段に活用する謙譲語「給ふる」の連用形。
御覧ぜらるる
「ご覧いただく」。
「らるる」は受身の助動詞、連体形。
口惜(くちを)しく思ひ給へ
「給へ」は謙譲。
たゆたひしかど
「出家を躊躇しましたが」。
「たゆたひ」は、ハ行四段活用動詞の連用形。「見給へ侍りぬれば」に係っていきます。
待たれ侍るべき
「れ」は、可能の助動詞、連用形。
「べき」は、推量の助動詞、連体形で、「今なむ」の結びです(係り結び)。
「日頃おこたり難くものせらるるを、安からず歎き渡りつるに、かく世を離るるさまにものし給へば、いとあはれに口惜しうなむ。命長くて、なほ位高くなども見なし給へ。さてこそ九品(ここのしな)の上(かみ)にも障(さはり)なく生れ給はめ。この世にすこし恨(うら)み残るは、わろきわざとなむ聞く」など、涙ぐみて宣(のたま)ふ。
日頃
「数日来」。
ものせらるる
「ものす」は、何かすることを抽象的に示します。
「らるる」は、尊敬の助動詞、連体形。
歎き渡りつるに
「嘆きつづけてきたが」。
「わたる」は、ずっとしつづける意。
世を離るるさまにものし給へば
世を捨てた様子でいらっしゃる、すなわち尼になっている様子のこと。
「に」は、断定の助動詞、連用形。口語の「で」にあたります。
口惜しうなむ
この下に「なむ」の結びの連体形「侍る」が略されています。
さてこそ
「さありてこそ」の略。
「そうあってこそ」。
「さ」は、副詞。「命長く~見なし」を受けています。
九品(ここのしな)の上(かみ)
極楽を九品浄土といって、往生するのに九階級あり、上品・中品・下品の三品に分け、そのおのおのを上生・中生・下生と分けました。最上の往生は、上品上生になります。いやはや。