源氏物語 近き所には、播磨の明石の浦こそ 若紫 明石の女 その2 原文と現代語訳
紫式部の源氏物語 若紫 明石の女(むすめ) その2です。
原文、現代語訳、語句の意味・用法、と記していきます。
原文
「近き所には、播磨(はりま)の明石(あかし)の浦こそなほことに侍(はべ)れ。何のいたり深き隈(くま)はなけれど、ただ海の面(おもて)を見渡したる程(ほど)なむ、あやしく異所(ことどころ)に似ず、ゆほびかなる所に侍る。かの国の前(さき)の守(かみ)、新発意(しぼち)の、女(むすめ)かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後(のち)にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交らひもせず、近衛の中将を捨てて、申し給はれりける司(つかさ)なれど、かの国の人にも少しあなづられて、『何(なに)の面目(めんぼく)にてかまた都にも帰らむ』と言ひて、頭(かしら)もおろし侍りにけるを、少し奥まりたる山住(やまず)みもせで、さる海づらに出で居(ゐ)たる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国の内にさも人の籠(こも)り居ぬべき所々はありながら、深き里は人離(ばな)れ心すごく、若き妻子(さいし)の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむ侍る。先(さい)つ頃、罷(まか)り下りて侍りしついでに、有様(ありさま)見給へに寄りて侍りしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遙かにいかめしう占めて造れるさま、さはいへど、国の司(つかさ)にてし置きける事なれば、残りの齢(よはひ)ゆたかに経べき心構(こころがま)へも、二なくしたりけり。後(のち)の世の勤(つと)めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、「さてその女(むすめ)は」と問ひ給ふ。
原文と現代語訳
「近き所には、播磨(はりま)の明石(あかし)の浦こそなほことに侍(はべ)れ。
(お供の良清が)「都に近い所では、播磨の国の明石の浦、そこが何といってもやはり格別でございます。
何のいたり深き隈(くま)はなけれど、ただ海の面(おもて)を見渡したる程(ほど)なむ、あやしく異所(ことどころ)に似ず、ゆほびかなる所に侍る。
これといって奥ゆかしくすぐれているところはありませんが、ただ海上を見渡した趣は、不思議によそとは違ってゆったりした所でございます。
かの国の前(さき)の守(かみ)、新発意(しぼち)の、女(むすめ)かしづきたる家、いといたしかし。
あの国の前の国司で、出家したばかりの者が娘〈※後の明石の上〉を大切に育てている家は、実に大したものです。
大臣の後(のち)にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交らひもせず、近衛の中将を捨てて、申し給はれりける司(つかさ)なれど、かの国の人にも少しあなづられて、『何(なに)の面目(めんぼく)にてかまた都にも帰らむ』と言ひて、頭(かしら)もおろし侍りにけるを、少し奥まりたる山住(やまず)みもせで、さる海づらに出で居(ゐ)たる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国の内にさも人の籠(こも)り居ぬべき所々はありながら、深き里は人離(ばな)れ心すごく、若き妻子(さいし)の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむ侍る。
(彼は)大臣の子孫で、元来、立身することのできた人ですが、いたって偏屈者で、人との交際もせず、近衛の中将の位を捨てて、お願いしていただいた国司の役でしたが、任国の人にも少々馬鹿にされて、『何の面目があってふたたび都にも帰ろうか、帰れはしない』と言って、剃髪(ていはつ)してしまいましたが、(そのくせ出家らしく)少し奥まった山家住まいもしないで、そんな海辺の住んでいるのは間違った振る舞いのようですが、なるほど、播磨の国の内に、そのように世捨て人籠って居てもよさそうな所々はあるものの、奥深い里は人気がなくて気味が悪く、若い妻子がさびしく辛く思うに違いないからで、また一方からいえば、気晴らしに作った住居なのでございます。
先(さい)つ頃、罷(まか)り下りて侍りしついでに、有様(ありさま)見給へに寄りて侍りしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遙かにいかめしう占めて造れるさま、さはいへど、国の司(つかさ)にてし置きける事なれば、残りの齢(よはひ)ゆたかに経べき心構(こころがま)へも、二なくしたりけり。
先頃、下向いたしましたついでに、様子を見に立ち寄りましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、広大な土地を占めてものものしく構えている家の様子は、何といっても国司の威勢でしておいたことですから、余生をゆったりと送れる用意もなく、比類なくしておりました。
後(のち)の世の勤(つと)めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、「さてその女(むすめ)は」と問ひ給ふ。
極楽往生のためのお勤めも大層よく励んで、かえって法師になって人柄を上げた人でございました」と申すと、(源氏の君は)「してその娘は(どんなかね)」とお尋ねになる。
現代語訳
(お供の良清が)「都に近い所では、播磨の国の明石の浦、そこが何といってもやはり格別でございます。これといって奥ゆかしくすぐれている所はありませんが、ただ海上を見渡した趣は、不思議によそとは違ってゆったりした所でございます。あの国の前の国司で、出家したばかりの者が娘〈※後の明石の上〉を大切に育てている家は、実に大したものです。(彼は)大臣の子孫で、元来、立身することのできた人ですが、いたって偏屈者で、人との交際もせず、近衛の中将の位を捨てて、お願いしていただいた国司の役でしたが、任国の人にも少々馬鹿にされて、『何の面目があってふたたび都にも帰ろうか、帰れはしない』と言って、剃髪(ていはつ)してしまいましたが、(そのくせ出家らしく)少し奥まった山家住まいもしないで、そんな海辺の住んでいるのは間違った振る舞いのようですが、なるほど、播磨の国の内に、そのように世捨て人籠って居てもよさそうな所々はあるものの、奥深い里は人気がなくて気味が悪く、若い妻子がさびしく辛く思うに違いないからで、また一方からいえば、気晴らしに作った住居なのでございます。先頃、下向いたしましたついでに、様子を見に立ち寄りましたところ、都でこそ不遇のようでしたが、広大な土地を占めてものものしく構えている家の様子は、何といっても国司の威勢でしておいたことですから、余生をゆったりと送れる用意もなく、比類なくしておりました。極楽往生のためのお勤めも大層よく励んで、かえって法師になって人柄を上げた人でございました」と申すと、(源氏の君は)「してその娘は(どんなかね)」とお尋ねになる。
語句の意味・用法
「近き所には、播磨(はりま)の明石(あかし)の浦こそなほことに侍(はべ)れ。何のいたり深き隈(くま)はなけれど、ただ海の面(おもて)を見渡したる程(ほど)なむ、あやしく異所(ことどころ)に似ず、ゆほびかなる所に侍る。
播磨(はりま)
現在の神戸市から西の瀬戸内海沿岸部。
ことに
格別に。
いたり深き隈(くま)
奥ゆかしく深い感じの所。
異所(ことどころ)
「こと」は、違う、別の、の意。
ゆほびかなる
「ゆほびかなり」
ゆたかで広々とした様。
かの国の前(さき)の守(かみ)、新発意(しぼち)の、女(むすめ)かしづきたる家、いといたしかし。大臣の後(のち)にて、出で立ちもすべかりける人の、世のひがものにて、交らひもせず、近衛の中将を捨てて、申し給はれりける司(つかさ)なれど、かの国の人にも少しあなづられて、
守(かみ)
国司。朝廷から諸国に赴任させた地方長官で、任期は四年。
新発意(しぼち)の
「新発意」は、新たに仏門に入った人のこと。
この「の」は、主格の助詞。「女かしづく」へ掛かります。
いたし
すぐれてよい。すばらしい。
大臣の後(のち)
この人を「明石の入道」といって、源氏の母桐壺の更衣のいとこです。
出で立ち
立身・出世。
人の
人であって。人でありながら。
「人」は、「出で居たる」までに記されている述語に対する主語です。体言(主語)+の+連体形(述語)の形。
世のひがもの
ひどい変わり者。
「世の」は、天下の、またとない、といった意。
「ひが」は、正しくない、ねじ曲がったこと。
交らひ
人づきあい。
近衛の中将
近衛府の次官。
皇居を守護する武官です。
申し給はれりける
「申す」は、請う、願う、といった意。
「給はる」は、「給ふ」の派生語。いただく意。
ここは、「入道」への敬語です。
あなづられ
「あなづる」は、あなどる。
ここの「れ」は、受身。
『何(なに)の面目(めんぼく)にてかまた都にも帰らむ』と言ひて、頭(かしら)もおろし侍りにけるを、少し奥まりたる山住(やまず)みもせで、さる海づらに出で居(ゐ)たる、ひがひがしきやうなれど、げに、かの国の内にさも人の籠(こも)り居ぬべき所々はありながら、深き里は人離(ばな)れ心すごく、若き妻子(さいし)の思ひわびぬべきにより、かつは心をやれる住まひになむ侍る。
頭(かしら)もおろし
「頭おろす」。出家する意。
げに
なるほど。いかにも。
さも
そのようにも。
「さ」は、奥まりたる山住みを指しています。
人離(ばな)れ
人里から離れて。
ぬべき
「ぬべし」
完了「ぬ」と、推量「べし」の複合語。
「~なってしまうだろう」「きっと~なるだろう」「~なるにちがいない」などと訳します。
心すごく
心にすごく感じる。恐ろしいほどものさびしい。
かつは
一方ではまた。
海辺に住んでいるもう一つの理由を述べています。
心をやれ
「心をやる」
満足し得意になる。
先(さい)つ頃、罷(まか)り下りて侍りしついでに、有様(ありさま)見給へに寄りて侍りしかば、京にてこそ所得ぬやうなりけれ、そこら遙かにいかめしう占めて造れるさま、さはいへど、国の司(つかさ)にてし置きける事なれば、残りの齢(よはひ)ゆたかに経べき心構(こころがま)へも、二なくしたりけり。後(のち)の世の勤(つと)めもいとよくして、なかなか法師まさりしたる人になむ侍りける」と申せば、「さてその女(むすめ)は」と問ひ給ふ。
先(さい)つ頃
「さきつごろ」の音便。
先だって。
所得ぬ
「所得ず」
しかるべき地位・機会に恵まれずに不遇である意。
そこら
その辺一帯。たくさん。
いかめしう
ウ音便です。
「いかめし」
ものものしい。荘厳な意。
占めて
自分のものにして。(ここでは、「そこに住んで」ということ。)
さはいへど
そうはいっても。
「さ」は、「かの国の人にも少しあなづられて」を指しています。
二なく
「二なし」
他に類例がない。すばらしい。
なかなか
かえって。
法師まさりし
「法師まさりす」
出家してから人柄がまさって見える。
※他の普通の法師よりまさる、と訳さないように!
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