源氏物語 けしうはあらず 若紫 明石の女 その3 原文と現代語訳
紫式部の源氏物語、若紫 明石の女(むすめ)その3です。
原文、現代語訳、語句の意味・用法、と記していきます。
原文
「けしうはあらず、容貌(かたち)心ばせなど侍(はべ)るなり。代々(だいだい)の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、更(さら)にうけひかず。『わが身のかく徒(いたずら)に沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。もしわれに後れてその志(こころざし)遂げず、この思ひおきつる宿世(すくせ)たがはば、海に入りね』と、常に遺言し置きて侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。人々、「海竜王(かいりゅうわう)の后(きさき)になるべきいつき女(むすめ)ななり。心高さ苦しや」とて笑ふ。かくいふは播磨(はりま)の守の子の、蔵人(くらうど)より今年爵(かうぶり)得たるなりけり。
原文と現代語訳
「けしうはあらず、容貌(かたち)心ばせなど侍(はべ)るなり。
(良清は)「器量や気立てなども悪くはございません。
代々(だいだい)の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、更(さら)にうけひかず。
代々の播磨の守などが、格別な心づかいをして、妻にしたいという心中を見せるそうですが、(入道は)一向に承知しません。
『わが身のかく徒(いたずら)に沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。
(娘に)『自分の身がこんなに空しく落ちぶれているだけでも情けないのに、(今更、国司ふぜいの妻などにされようか。望みをかけるのは)この娘一人なのだ。(この娘については)特別な考えを持っている。
もしわれに後れてその志(こころざし)遂げず、この思ひおきつる宿世(すくせ)たがはば、海に入りね』と、常に遺言し置きて侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。
もし私の死後にその望みが遂げられず、私が予定しておいた運命の通りにならなかったら、(つまらぬ落ちぶれ方をするよりも)海に身を投げてしまいなさい』と、いつも遺言しておくそうでございます」などと申し上げると、源氏の君も面白いとお聞きになる。
人々、「海竜王(かいりゅうわう)の后(きさき)になるべきいつき女(むすめ)ななり。心高さ苦しや」とて笑ふ。
お供の人々は、「海の竜王の后になるはずの秘蔵の娘なのらしい。気位(きぐらい)の高いこと、窮屈だな」と言って笑う。
かくいふは播磨(はりま)の守の子の、蔵人(くらうど)より今年爵(かうぶり)得たるなりけり。
こういうことを話すのは播磨の守の子で、蔵人から今年従五位の下に叙せられた者(源良清)であった。
現代語訳
(良清は)「器量や気立てなども悪くはございません。代々の播磨の守などが、格別な心づかいをして、妻にしたいという心中を見せるそうですが、(入道は)一向に承知しません。(娘に)『自分の身がこんなに空しく落ちぶれているだけでも情けないのに、(今更、国司ふぜいの妻などにされようか。望みをかけるのは)この娘一人なのだ。(この娘については)特別な考えを持っている。もし私の死後にその望みが遂げられず、私が予定しておいた運命の通りにならなかったら、(つまらぬ落ちぶれ方をするよりも)海に身を投げてしまいなさい』と、いつも遺言しておくそうでございます」などと申し上げると、源氏の君も面白いとお聞きになる。お供の人々は、「海の竜王の后になるはずの秘蔵の娘なのらしい。気位(きぐらい)の高いこと、窮屈だな」と言って笑う。こういうことを話すのは播磨の守の子で、蔵人から今年従五位の下に叙せられた者(源良清)であった。
語句の意味・用法
「けしうはあらず、容貌(かたち)心ばせなど侍(はべ)るなり。
けしうはあらず
悪くはない。「怪(け)し」(悪い・異様だ)を打ち消した言い方。「容貌心ばせなどけしうはあらず侍る
なり」を倒置しています。
容貌(かたち)
きりょう。
心ばせ
気だて。
代々(だいだい)の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、更(さら)にうけひかず。
用意
気をつけること。転じて、準備。
ことにして
この「し」はサ変動詞です。接続助詞の「して」ではありません。
さる心ばへ
妻にする、聟・婿(むこ)になるという心の動き、考え、気持ち。
見すなれど
見せるという、見せると聞いている。
「なり」は伝聞推定の助動詞。
『わが身のかく徒(いたずら)に沈めるだにあるを、この人ひとりにこそあれ、思ふさまことなり。
更(さら)に
打ち消し・反語と対応するときは、一向、まったくの意。
徒(いたずら)に
いたづらなり(役に立たない、むだ、むなしい)の連用形。
沈め
零落する。
貴族からすると、国司や受領(ずりょう)は軽視される階級でした。
沈めるだにあるを
「だに」は、軽いものを示し、言外に重いものがあることを表します。ここは、自分の失意を示して、まして娘を地方官ふぜいに許すなど、とんでもない、ということを表しています。
この人ひとりにこそあれ
望みはこれ一人だ。「こそ」で強調し、逆接のようにして下に続けています。
思ふさまことなり
思う(期待をかける)内容が、受領ふぜいの妻などとは違っている。「ことなり」は「異なり」。
もしわれに後れてその志(こころざし)遂げず、この思ひおきつる宿世(すくせ)たがはば、海に入りね』と、常に遺言し置きて侍るなる」と聞ゆれば、君もをかしと聞き給ふ。
後れ
「後る」。(誰かに)死なれてあとに残される。
思ひおきつ
考えて定めておく。
宿世(すくせ)
前世からの因縁、運命。
入りね
この「ね」は、完了の命令形。テシマエの意。
「入り」は連用形。
人々、「海竜王(かいりゅうわう)の后(きさき)になるべきいつき女(むすめ)ななり。心高さ苦しや」とて笑ふ。かくいふは播磨(はりま)の守の子の、蔵人(くらうど)より今年爵(かうぶり)得たるなりけり。
海竜王(かいりゅうわう)の后(きさき)
竜神・海神の后。
入道の望みは叶えられそうにないから、「海に入りね」を茶化して、「海竜王の后」と言っています。
いつき女(むすめ)
秘蔵娘。「いつく」は、心身を清めつつしんで神に奉仕することから、「大切に扱う」「秘蔵する」の意。
ななり
「なるなり」の音便「なンなり」の、撥音が表記されていない形。
心高さ
気位の高いこと。
苦しや
ここの「や」は、感動。
爵(かうぶり)
爵を叙せられること。ここでは、六位の蔵人から、従五位の下に叙せられました。
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