源氏物語 内裏より御使あり 桐壺 その11 原文と現代語訳
源氏物語 桐壺 その11です。
原文、現代語訳、語句の意味・用法、と記していきます。
原文
内裏(うち)より御使あり。三位の位(くらゐ)贈り給(たま)ふよし、勅使来てその宣命(せんみゃう)読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、飽(あ)かず口惜しう思さるれば、今一階(ひときざみ)の位をだにと、贈らせ給ふなりけり。これにつけても憎み給ふ人々多かり。物思ひ知り給ふは、様(さま)容貌(かたち)などのめでたかりし事、心ばせのなだらかにめやすく、憎み難(がた)かりし事など、今ぞ思し出づる。様あしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉(そね)み給ひしか、人柄のあはれに情ありし御心を、上(うへ)の女房なども恋ひしのびあへり。「なくてぞ」とは、かかる折にやと見えたり。
原文と現代語訳
内裏(うち)より御使あり。
宮中から御使がある。
三位の位(くらゐ)贈り給(たま)ふよし、勅使来てその宣命(せんみゃう)読むなむ、悲しきことなりける。
(故御息女)に三位の位を追贈(ついぞう)あそばす旨(むね)を勅使が来て、その宣命を読みあげるのが、またひとしお悲しいことであった。
※「追贈」とは、死後に官位や称号、勲章などを贈ること。
女御とだに言はせずなりぬるが、飽(あ)かず口惜しう思さるれば、今一階(ひときざみ)の位をだにと、贈らせ給ふなりけり。
(帝は、御息女を存命中に)女御とさえも(人々に)呼ばせず、更衣のままで終わらせてしまったことが、誠に物足りなく残念に思し召されるので、せめてもう一階級上の位だけでも(女御なみに)というお気持ちで御追贈なされるのであった。
※「更衣」は、多くが「四位」。
これにつけても憎み給ふ人々多かり。
このことにつけても(故御息女を)お憎みになる人々が多い。
物思ひ知り給ふは、様(さま)容貌(かたち)などのめでたかりし事、心ばせのなだらかにめやすく、憎み難(がた)かりし事など、今ぞ思し出づる。
(しかし)物心のわかっていらっしゃる方は、(御息女が)御容姿、御器量などのすぐれて美しかったことや、気立てが穏やかで、傍目(はため)に難がなく、憎みきれない方であったことなど、何やかやと、(亡くなられた)今になってはじめて思い出されている。
様あしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉(そね)み給ひしか、人柄のあはれに情ありし御心を、上(うへ)の女房なども恋ひしのびあへり。
不体裁なほどの帝の特別な御寵遇(ちょうぐう)ゆえに、(人々も)そっけなく嫉妬されたのであったけれども、人柄がしんみりといじらしく、情愛の深かった(御息女の)御心を、主上附きの女房たちまで、誰も誰も恋しがって偲(しの)びあっている。
「なくてぞ」とは、かかる折にやと見えたり。
(古歌に)「なくてぞ」と歌われたのは、こうした場合のことであろうかと思われた。
現代語訳
宮中から御使がある。(故御息女)に三位の位を追贈(ついぞう)あそばす旨(むね)を勅使が来て、その宣命を読みあげるのが、またひとしお悲しいことであった。(帝は、御息女を存命中に)女御とさえも(人々に)呼ばせず、更衣のままで終わらせてしまったことが、誠に物足りなく残念に思し召されるので、せめてもう一階級上の位だけでも(女御なみに)というお気持ちで御追贈なされるのであった。このことにつけても(故御息女を)お憎みになる人々が多い。(しかし)物心のわかっていらっしゃる方は、(御息女が)御容姿、御器量などのすぐれて美しかったことや、気立てが穏やかで、傍目(はため)に難がなく、憎みきれない方であったことなど、何やかやと、(亡くなられた)今になってはじめて思い出されている。不体裁なほどの帝の特別な御寵遇(ちょうぐう)ゆえに、(人々も)そっけなく嫉妬されたのであったけれども、人柄がしんみりといじらしく、情愛の深かった(御息女の)御心を、主上附きの女房たちまで、誰も誰も恋しがって偲(しの)びあっている。(古歌に)「なくてぞ」と歌われたのは、こうした場合のことであろうかと思われた。
語句の意味・用法
内裏(うち)より御使あり。
内裏
うち。宮中。帝のこと。
三位の位(くらゐ)贈り給(たま)ふよし、勅使来てその宣命(せんみゃう)読むなむ、悲しきことなりける。
宣命(せんみゃう)
命(みこと)を受け伝えて、告(の)り聞かせる意。
女御とだに言はせずなりぬるが、飽(あ)かず口惜しう思さるれば、今一階(ひときざみ)の位をだにと、贈らせ給ふなりけり。
女御とだに
女御とさえ
「~さえ」
なりぬるが
「ぬる」は完了・連体形
「なりぬることが」
今
もう。その上。
一階(ひときざみ)の位をだにと
せめてもう一階級上の位だけでも(女御なみに)と
「せめて~(なり)と」
これにつけても憎み給ふ人々多かり。
これにつけても
「これ」は、こうして女御なみの御贈位があること。
物思ひ知り給ふは、様(さま)容貌(かたち)などのめでたかりし事、心ばせのなだらかにめやすく、憎み難(がた)かりし事など、今ぞ思し出づる。様あしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉(そね)み給ひしか、人柄のあはれに情ありし御心を、上(うへ)の女房なども恋ひしのびあへり。
物思ひ知り給ふは
物の情(道理)をわきまえていらっしゃる方は
こそ、すげなう嫉(そね)み給ひしか
「こそ~已然形」は、言い切りにならずに、下に続く場合は、逆接になります。「~けれども」。
そっけなく嫉妬されたのであったけれども
「なくてぞ」とは、かかる折にやと見えたり。
かかる折にや
「ありけむ」の語が省略されています。
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