古典の知識 平安時代 

平安時代 

平安時代

桓武天皇による平安遷都(せんと)から鎌倉幕府の成立までのおよそ400年間。

政権の中心が京都・平安京にあった時代。

律令制再興期、摂関期、院政期(末期は平氏政権期)の3期に分けられる。

平安京

平安京

桓武天皇の794年に長岡京から移って、1868年に東京へ移るまでの都。

大内裏(だいだいり・たいだいり)

皇居である内裏(だいり)を中心とし、その周囲に政務や儀式を行う朝堂院(ちょうどういん)、諸官庁を配置した一郭。

京の北端中央に位置した。

内裏(だいり)

天皇の住居。皇居。

宮中九重(ここのへ)、御所ともいう。

紫宸殿(ししんでん)

内裏の正殿。

公事(くじ【公式の行事】)をおこなう。

南殿(なでん)ともいう。

清涼殿(せいりゃうでん)

天皇が平常いらっしゃる御殿。

天皇は、この清涼殿で、公事もおこなう。

昼御座(ひのおまし)

清涼殿の中にある天皇の執務室。

夜御殿(よるのおとど)

清涼殿の中にある天皇の寝室。

殿上間(てんじゃうのま)

清涼殿の中にある、殿上人(=五位以上の者と六位の蔵人で昇殿を許された者)が控える間。

後宮(こうきゅう)

内裏の北半分。皇后、中宮ら、天皇の夫人たちと彼女たちに仕える女房たちが住んだ。

朱雀門(すざくもん)

大内裏の南側中央の正門。

朱雀門から南に向かって朱雀大路(すざくおほぢ)が通り、京のはずれにあるのが羅生門(らしょうもん)。

朱雀大路の東側を左京、西側を右京

やがて右京は衰頽(すいたい)し、左京は賀茂川を越えて東山に連なるようになった。

職御曹司(しきのみざうし)

内裏から西側に位置する。

中宮に関する事務を取り扱う中宮職の役所。

しばしば中宮の仮の居所ともなった。

官位 役職

除目(じもく)

官吏の人事異動の行事。

春(一月)の県召(あがためし)の除目は、地方官を任命する。

秋(九月)の司召(つかさめし)の除目は、京や宮中の官吏を任命する。

摂政(せっしゃう)

天皇の幼少時、天皇に代わって政務をおこなう。

関白(かんぱく)

天皇の成長後、天皇の補佐役として政務をおこなう。

摂政、関白とも、常には置かれず、大臣が兼務した。

摂政、関白は、上座につくことから、一の人といわれる。

上達部(かんだちめ)

大臣、大納言、中納言、三位以上の人と四位の参議。公卿(くぎゃう)ともいう。

殿上人(てんじゃうびと)

清涼殿の殿上の間に昇殿を許された人。

四位と五位の一部、六位の蔵人。

上人(うへびと)ともいう。 ←→ 地下(ぢげ)

蔵人(くらうど)

蔵人所の役人。天皇の身近に仕える。

はじめは、機密文書を扱っていたが、のちに宮中の諸事をおこなうようになる。

受領(ずりゃう)

国司として赴任している役人の中の長官。国守。任期は四年。

後宮の女性

中宮(ちゅうぐう)

平安初期と中期からで、意味が異なる。

平安初期 → 皇后、皇太后(こうたいごう【先帝の皇后で現天皇の母】)、太皇太后(たいこうたいごう【先々帝の皇后】)の総称。

平安中期から → 皇后と同資格(最高位)の后(きさき)のこと。一条天皇の御代(みよ)、定子を皇后彰子を中宮としたことから。

「定子」に仕えたのが清少納言です。「彰子」に仕えたのが紫式部

女御(にょうご)

皇后、中宮に次ぐ天皇夫人。

主に摂政、関白、大臣の娘がなり、平安中期以後は女御から皇后を立てるのが例となった。

更衣(かうい)

女御に次ぐ天皇夫人。

納言以下の家の娘があたる。

御息所(みやすんどころ)

女御、更衣よりも下の天皇夫人たちの総称。

のちには、主として皇太子妃、親王妃をさすようになる。

女院(にょゐん)

皇后であった方が出家されたときの名称。

待遇は院(=上皇)と同じ。

女房(にょうぼう)

宮中で働き、一室を与えられた女官のこと。

清少納言や紫式部たちは、この女房です。

尚侍(ないしのかみ)

内侍司(ないしのつかさ)の長官。

天皇の側近で、臣下との取次役。

のちに、天皇の夫人をさすようになる。

典侍(ないしのすけ)

内侍司の次官。

のちに、天皇の夫人をさすようになる。

※尚侍、典侍、「ないし」の漢字が違うので注意!

乳母(めのと)

生母に代わってその子に乳を飲ませ、育てる女性。

高位の貴族の女性は出産しても養育しません。同時期に出産した女性を探し、その女性を母親の代わりの養育係としたのです。乳母は、養育した子が成長してからも、その後見役となりました。

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2021年4月25日「雑記帳」

Posted by 対崎正宏