本を読む 不条理な世界は、思考停止によってつくられる

経験も、そこで知の思考が働いてこそ

 過ちを犯すのが人ですし、成長できるのも人です。

 生きていくことは経験していくことです。

 経験は、まったく個人的なものです。

 経験は、個の思考の力と直結します。

 何事かを経験しても、深い思考ができなければ、怒り、憎しみ、嘲(あざけ)り、悲しみ、恐れ、といった域に止(とど)まる可能性があります。

 経験から学ぶというのも、そこで知の思考が働いてこそでしょう。

 人は、客観的、論理的といった知の思考を学ばなければ、ただ生きていくだけになってしまいます。

 それは、つまり、ただ経験していくだけということ。

 そうしてつくりあげられる世界観は、当然のことながら、個の経験からのみの世界観になります。

 

 問題解決も、意味の完結も、個の経験からの世界でなされます。

 最も安易な解決、完結は、損得の勘定です。

 私利私欲につながりやすくなる。

 個の経験からの狭小な世界観でしか思考しない、できないからです。

 その言葉に大きな力が宿るわけもありません。

 人は、顔に皺(しわ)が刻まれ、頭に白いものが目立つようになれば、それで深い思考ができるようになるわけではないんですよね。

 それは、仕事に就いて金を稼ぐようになっても、子供の親になっても同じことですね。

良書を読めるかどうかは、他者の思考を理解する努力ができるかどうか

 本を読まずとも、人は生きてはいけます。年を重ねてはいけます。

 ただ、人は、どのような年の重ね方をしていくかで、生き方が違ってくる。

 多くの本を、それも良書を読むべきでしょう。

 良書を読めるかどうかは、他者の言葉、思考を理解する努力ができるかどうかということです。

 努力は学ぶ姿勢であり、生きる姿勢です。

 良書を読む、それも、より良く読むことは、自身の生き方そのものをより良くすること、磨くことです。

学ぶ姿勢は自身の生き方の中にある

 身体内の細胞が変化するように、現実の世界は刻々と変わっていきます。

 それは多くの人々が生きている証(あかし)です。

 変化する現実世界の中の個である自身は、やはり変化していかなければいけません。

 それは、学び続けるということでしょう。

 どんなに鄙(ひな)びた所に暮らそうと、ネットで世界と繋(つな)がっている現代、無知を理想として生きられるような時代ではありません。

 学ぶことを怠(おこた)れば、的外れな、つまらぬ我(が)をふりかざすしかできなくなってしまいます。

 私利私欲の自己中心的な負の力にからめとられても、それを当たり前のものとして、考えることもしなくなってしまいます。

 不条理とされるこの世界をつくっている要因の一つは思考停止です。

 世界をより良くするには、一人一人が学び続けること、成長していくことでしょう。

 学ぶ姿勢は、自身の生き方の中にあるんですよね。

2021年4月1日「読解力向上 思考の周辺」

Posted by 対崎正宏