生涯学習 学ぶ時間とは、自分の人生の時間
学ぶとは自分自身と他者を理解すること
人は学ぶことで、救われます。
学問は広大無辺であり、どの道であれ、学べば学ぶほど、自身の生活の中での問題にも、多面的な思考が、働くようになるからです。
それは、他者を貶(おとし)めて、自身を高みに置くような思考ではありません。
自他の理解です。
もう少し言えば、自身も他者も、秩序ある宇宙の中に生まれた奇跡的な存在であるがゆえに、自身の人生も他者の人生も大切なものであるということを思考できる、自他の生と死を思考できるということです。
だからこそ、学び続ける者は、一生、顔を合わすこともないであろう人のことも思いやれるんです。世界の平和を考えるんです。
なにも、わざわざ学校などに通わずとも、人は学べます。
世に、良書はたくさんあります。
いくつになっても、人はその意思さえあれば、学べるものです。
スタンス 学ぶ姿勢は、誠意であり、謙虚な心
ごく短い時間で何かを得ようとするような学び方は、本来の学ぶ姿勢ではありません。
学ぶ時間は、自身の持っている人生の時間です。
本来、学ぶということは、自己顕示欲や名誉欲や金銭欲などとは無縁のものです。
知識は他人にひけらかすようなものでもありません。
スタンス、学ぶ姿勢は、誠意であり、謙虚な心です。
世界の中にある世界はまた世界を包む
自然科学、社会科学、人文科学等々、宇宙規模のものであろうが、細胞レベルのものであろうが、学問はみな、マクロとミクロの世界をそれぞれ持ち、通じています。
人の生活、身体の構造、地球の環境、どれをとってもそうでしょう。
一つの世界は、自身よりも大きな世界の中にあり、同時に自身よりも小さな世界を包み持っています。
地球は銀河系という秩序あるコスモスの中に位置する小さな星です。
しかし、その地球には、七十億以上の人間がいて、その内の一人の体内には、数十兆もの細胞が存在しています。
そして、その細胞の一つ一つにもコスモスがある。
文章が言葉から成り、その言葉がまた意味という言葉から成っているのも同じです。
(「世界の中にある世界はまた世界を包む」の一部は、拙著、大人の「読む力」のあとがきの原形です。本来あるべき形です。
「他者が過去をどのように生き、今をどのように生きているのか、それを慮るのも思考なんですよね。」←これも、同じく、あとがきの原形です。)
人は、学び続けることで、世界と共に生きていく
言葉は、みな、最初、他者の言葉です。
自身の言葉ではありません。
学ぶ、ということは、他者の言葉を理解する、ということです。
謙虚に、真摯に受けとめる必要があります。
生涯、学び続けていくということは、自身が生きる世界を理解し、考えていくということです。
それは、世界と共に、生きていくということです。