暗記は思考力ではない 思考の根底にある知の文法

暗記は、思考力ではない  

 暗記は、思考が働いているとはとてもいえません。 

 暗記中心の勉強法は、思考することを知らない人間を数多く生みだしてしまった恐れがあります。  

 覚えれば、それで正解が得られる、と思っている。  

 知っていれば、それが優れたこと、と思っている。   

 誤りです。  

 覚えているだけ、知っているだけでは、思考力とはなりません。  

 暗記は、思考力ではありません。   

 調べれば誰でもわかるようなものを、いくらたくさん覚えて声高に叫んでも、そこに価値は生まれない。   

 ディープラーニングで今も成長を続けるAIが、それを証明しています。 

 たくさん覚えるだけでいいのなら、人間は、AIにまったく歯が立ちません。

 でも、そういう膨大な量を覚えることは、AIがやってくれるからいいんです。記憶とその抽出は、AIにまかせましょう。

 人間は、AIにはできないことをしてこそ。

 思考です。

「考える葦」としての人間の姿は、古来から変わりません。

言葉の扱いの根底にあるのが文法

 思考力、といった場合、それは、母語での言葉の扱いをいいます。

 人が最も深く思考できる言語は母語です。

 母語の根底にあるものが、文法です。

 文法は、その語を使う国の文化であり、歴史です。

 人が生きてきた長い時間を、言葉にしたものが文法です。

 そこには、英知も、やさしさも、憎しみも、すべて詰まっている。

 思考の基盤。

 言葉の意味を成り立たせるものが文法です。

形にしてくれているものの一つ

 私がよく言うところの意味・内容の「形」、その一つが文法です。

 つまり、意味・内容、という目には見えないものを、見える形にしてくれている、その一つが文法なんです。

 これがなければ、古(いにしえ)から、現代、未来への思考も途絶えてしまう。

 古典を読めるのも、それを現代語に書きかえられるのも、文法があるからです。

 これにより、私たちは、古の人の考えを学ぶことができます。

 それを未来の人間に渡すこともできます。 

あなたの言葉

 考えてみてください。

 あなたの言葉を、あなたの思考の力を、未来へつなぐことができなかったとしたら、どうでしょう。

 え? 

 そんなことは、自分ではない他の誰かが、どこかで勝手にやってくれれば、それでいい?

 いえ、いえ、あなたの発する言葉には、あなた自身の歴史が、母語そのものの歴史が生きています。

 あなたの使う言葉は、母語の扱い方の、他者との共通の理解の上に成り立っています。

 その根底にあるものが、文法です。

 あなたの考え方にも、言葉にも、文法は生きています。

 長い歴史を生きてきた、大きな力を持つ言葉を、あなたは今使っているんです。

 その上で、あなたは、自身の人生を生きてきて、あなたしか発することのできない価値ある言葉を今持っているはずです。 

文法は変化もする

 文法は、人とともに、言葉とともに、磨かれてきたものであり、磨かれていくものです。

 その時代時代で生きる人間の思考の「形」だからです。

 当然、変化もする。

 日本の、文語文法と口語文法もそうですね。

 両者は違います。

 しかし、通じています。

言葉、文法には、知と血が通っている

 どこの国の語であれ、その語の文法は、その国の言葉そのもので、国の姿かたちです。

 だから、母語を封じられるということは、生まれてからずっと培ってきた思考を封じられることであり、自分が自分として生きることを封じられてしまうことになるんです。

 悲惨な戦争の時代に、それがあったわけです。

 言葉には、その扱い方には、知と血が通っています。

 そうです、本来、文法は、無味乾燥なものではありません。

 そこには意味がある。

 意味とは、歴史の知であり血です。

 文法は、文章読解そのものを支え、文章記述そのものを支えます。

 文章は、個の知と血が、形になったものなんです。

世界をつなげる、語の文法

 読めなければ、他者の思考は理解できません。

 書けなければ、自身の思考の表現、他者への伝達は、成りません。

 そうして、自身の思考が磨かれていくことがなければ、生きる力とはなりません。

 そんな読解、記述、思考の根底にあるのが、自身と他者、世界をつなげる語の「文法」です。

理解の根底にある文法の理解

 ギャル語がわからない。

 古文、漢文が理解できない。

 思考の違いは、言葉の扱いの違いであり、その根底には、質と程度の差こそあれ、文法が存在します。

 意味が成り立つ、意味が通じる、というのは、そこに共通の言葉の理解、ルールがあるからです。文法です。 

目の前のものを考えられないことの危うさ  

 目の前のものに思考が働かないということは、目の前のものが、自身の脳内で言葉になっていないということです。  

 無関心とは、思考停止のことです。

 政治は、しばしば、そこを突いてきます。

 政治の暴走は、国民の無関心、思考停止から生まれます。

 国民の知力、思考力と大きく関わるのが、政治です。(経済です、医療です、教育です、福祉です、……、まあ、みんな、関わって当然なんですね。みんな、一人一人が関わり、一人一人から成っている世界ですから。ミクロ、マクロの世界です。)

 政治は、その国の語から成ります。

 目の前の言葉を考えられない成れの果てが、戦争です。

 

 人を傷つける言葉、人をいたわる言葉。

 言葉は、一人一人が磨いていかなければいけないんですよね。

2021年4月1日「読解力向上 思考の周辺」

Posted by 対崎正宏