読解センスは、人間の違い
読解力は、思考力です。
客観的、論理的な読み方、考え方というものは、学ばなければ、身につかないものです。
客観的、論理的な読み方とは、どういうものなのか。
知らない人が多いのは、教わったことがないからです。
見たことがないから。
なんとなくの国語の授業というものは、教師の読解センスの披露です。
多くの人が経験しているように、それは生徒の読解力の向上にはなかなかつながりません。
教師と生徒一人一人では、知識も、経験も、生活環境も、性格も違うからです。
違う人間だから。
同じ視点に立てないんです。
読解センスの違いとは、人間の違いです。
だから、教える側の読解センスの披露というものは、力のある生徒には、いくらかの参考にはなっても、力のない生徒には、ほとんど役に立たない。
壁があるんです。
客観、それは、目の前に存在している言葉
私は、初めて国語を生徒に教えることになった時、自分が生徒時代に受けてきたような、なんとなくの国語の教え方は、絶対にしない、と決めていました。
私の読解教授法は、 私と生徒が、目の前に存在している言葉を共有する、というものです。
私は、言葉の扱い方を、生徒に「見せる」んです。
「客観」は、目で確かめられなければいけません。
なにしろ、教える側の頭の中は、生徒には見えません。そもそも、見せようとしても無理です。
見せるべきは、教えるべきは、「客観」なんです。
それは、「目の前の言葉」です。
その言葉が、どのように存在しているのか。
客観的な言葉の扱い方を学ぶとは、言葉の論理的な扱い方を身につけるということです。
目の前の言葉は消えません。
生徒は、自分の目の前に、客観的に存在する言葉を、いつでも確認することができます。
これは、自分の頭の中で、なんとなくの作業、独りよがりな作業をしない状態でもあります。
その状態で、私は、目の前の言葉の論理的な扱い方を、生徒に「見せる」んです。
独りよがりな主観さえ入らなければ、客観と論理という新しい力は、誰でも、確実に身につけられるものです。
客観は、主観が破られた先にある
論理的な思考力は、論理的なしっかりした内容の本を読むことで磨かれていきます。
しかし、独りよがりの主観で、いくら沢山の良本を読んでも、効果はありません。
わかったつもりになるだけで、成長へとつながらないからです。
我(が)をより強固なものにし、独断と偏見を助長する恐れだってあります。
差別やいじめは、そこから生まれます。
成長には、自信も必要ですが、自省も必要です。
客観は、主観が破られた先にあります。
論理的な思考力は、客観という思考の力から成ります。
心とは、思考
量やスピードの時代は、AIの進化によって終わりました。
これからの時代、人間は、「質」の重要性を思い出さなければいけません。
食品にしても、製品にしても、建物にしても、本の読み方にしても、自身の生き方にしても。
質は、中身であり、心です。
心とは、思考です。
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