言葉にしなければ、思考とは成らず、アウトプットもできない
意味は、言葉から生まれる
意味というものは、言葉から生まれます。
拙著「大人の読む力」では、それを可視化しました。
論理的な文章の意味・内容、その流れを、なんとなくの、ぼんやりとしたものではなく、目に見える形で示しました。
母語そのものの論理を理解してもらうためです。
生まれる価値
論理的に読む力は、確かな形あるもので、確かな思考の力となるものです。
良いアイディアがあるんだ、といくら言っても、それが漠然(ばくぜん)としたものでは、価値は生まれません。
それは、自身の力とはなりません。
文章にすることも、発言することもできないアイディアは、誰に伝えることもできないからです。
価値は、他者が評価し、決めるものです。他者に伝えられないアイディアに、価値が生まれることはないのです。
意味は言葉から成る
優れた思考、良いアイディア、とは明確な言葉から成ります。
それは、意味の成り立ちです。
言葉がなければ、意味は成りません。
それが、自身の思考の力に成ることはありません。
なんとなくのものを、意味のあるもの、確かな形あるものにするのが、論理的な思考の力です。
形ある意味
形ある意味の根幹は、主語、述語の存在です。意味の完成形です。
自分の中で、ぼんやりとしているものは、どのような言葉にして、どこに置けばいいのか。
主語の位置に据えるのか。述語の位置に据えるのか。修飾語の位置に据えるのか。
言葉の配置が重要です。重要な言葉から位置づけるのです。
そうして、意味の連続性を思考していく。
頭の中にある意味が、最終的な姿形なら、細部の意味を、その言葉を思考していくことになります。
ミクロ的な意味を詰めていく。
頭の中にある意味が、最終的なものでないのなら、完成形を求めて、意味を、言葉を求めていくことになります。
マクロ的な意味への、言葉の展開です。
いずれにしても、そこには論理的な意味の連続性があります。
言葉にしてこそ、論理的な意味が成り立ち、アウトプットも可能となるのです。