感動詞という品詞 独立語という文の成分の持つ強い意味
感動詞は品詞 独立語は文の成分
感動詞は、品詞からの呼び名です。
(日本語は、動詞・形容詞・形容動詞・名詞・代名詞・副詞・連体詞・接続詞・感動詞・助動詞・助詞の11品詞から成ります。【代名詞を名詞に含めて、10品詞とする見方もあります。】)
独立語は、文の成分からの呼び名です。
(日本語の「文の成分」は、主語・述語・修飾語・接続語・独立語の5種類です。)
基本解説は、カテゴリー「日本語 文法を基礎から読解、記述へ」→ サイトマップ
今回、そんな「感動詞(独立語)」から、文章における重要な一文について考えてみましょう。
重要な一文
「おい」とか、「まあ」とか、「いいえ」とか、呼びかけ、感動、応答の意味を表す、これらを感動詞といいます。
感動詞は、文の成分からいえば、独立語です。
独立語は、独立して、文をつくります。
一語で、句点、感嘆符、疑問符を打てるわけです。
例 きゃあ!
上の例文は、独立語である感動詞に感嘆符が打たれています。
文として成り立っています。
しかし、この独立語、感動詞を、文章中で使えば、前後の関係性というものが当然のことながら生まれます。
文章中で、独立語、感動詞が存在するということは、その文章の中で生きるということです。
意味のつながりができるということです。
何かしらの世界で生きるということは、その中に存在するすべてのものとの関係性の中で生きるということです。
一文の「きゃあ!」も、文章中で記されれば、その声を発したのが誰なのか、いつ、どこで、その声を発したのか、その背景、明確な理由、意味というものがその前後に必ず記されることになります。
もし、記されていない文章があったとすれば、それは書き手にその知識も、筆力もないためです。
その文章は、その一部の瑕疵(かし)により、全体が破綻(はたん)します。
独立語は、主語と同等の力を持っている
文を成り立たせるには、少なくとも、主語、述語の(意味の)存在が必要です。
これに対し、独立語(感動詞)は、たった一語だけで、文をつくってしまいます。
このことは、独立語(感動詞)がとても強い意味を持った存在である、と見ることができるでしょう。
また、述語というものは主語の意味を表すことから、一文の意味とは究極的に主語の意味である、と確認しました。
このことから、独立語は主語と同等の重要度で存在している、ということもいえるでしょう。
独立語(感動詞)を使っていない文には、主語が記されているか、省略されています。
つまり、瑕疵のない文章、名作とわれるような、しっかりした文章の場合、どのような一文も、ないがしろにはできない、ということです。
一つひとつの文が、全体をつくっていますからね。
書く力 読む力
「書く」、「読む」には、書く力、読む力が必要です。
その力がないと、しっかりした文章を書くことはできません。
すばらしい文章と出会っても、その内容を読み取ることはできません。
基本は無視できない
基礎知識というものは、文法にしろ、何にしろ、それをただ覚えるだけでは意味がありません。
基礎は、活かしてこそです。
基本知識は、思考の契機(けいき)ともなります。
基本知識同士は、どんどん結びつけて、考えましょう。
視野が広がります。
思考を働かせるコツは、物事を多面的に見ることです。