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文章とは、他者の言葉

#スタンス,#思考の糧

「読む」スタンスとして

読解とは、他者の言葉を理解すること

読解とは、目の前の文章を理解することです。

目の前の文章、それは、他者の言葉です。

文章読解では、言葉を補う、という作業も必要になってきますよね。

補う言葉は、書き手が記している言葉から導きます。

なにしろ、目の前の文章は、書き手が記したものですから。

でも、この作業が、なかなか、できない人が多いんですね。

そもそも、言葉の補いは、目の前に存在している文章、他者の言葉を、理解するために行うものです。 

他者の言葉を壊すために行うものではありません。  

自分勝手な補いは、他者の言葉を壊す行為です。

目の前の文章、目の前の書き方から、言葉の補いをしないと、自分の頭の中の思考をくりかえすことになります。

この行為は、どうしても、「我」を強くします。

他者の言葉、他者の思考を理解することができないからです。

他者の考えの理解は、他者への敬意でもある

文章読解とは、自分とは異なる他者の考えの理解です。

それは、他者への敬意でもあります。

自分勝手な解釈は、他者の考えを壊してしまうわけで、他者への敬意ある行いとは、いえません。

それは、なにも、他者の言いなりになるということでもなければ、その考えに百パーセント賛同しなければいけないということでもありません。

理解です。

それは、尊重なんです。

人は、敬意がなければ、目が曇るものなのです。

理解の先に、自身の思考が始まる

理解とは、自分で考えるための前段階の作業です。

自分とは異なる他者の考えを理解することによって、それまで見えていなかったものが見えるようになります。

それが、負の面であろうとも。

自身と異なるもの、自分の持っていないものは、思考の糧になります。

世界は、自分自身だけで成り立っているわけではありません。

他者の言葉、その考えを、理解してこそ、世界観も広がります。

他者の言葉の理解の先に、自身の思考が始まるんです。

文章とは、他者の言葉なのです。

2022年7月4日「雑記帳」#スタンス,#思考の糧

Posted by 対崎正宏