徒然草 西大寺の静然上人 第152段 原文と現代語訳
原文
西大寺(さいだいじ)の静然(じやうねん)上人、腰かがまり、眉(まゆ)白く、誠に徳たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参(まゐ)られたりけるを、西園寺(さいをんじ)の内大臣殿(ないだいじんどの)、「あな、たふとのけしきや」とて、信仰のきそくありければ、資朝卿(すけとものきやう)これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。後日(ごじつ)に、むく犬のあさましく老(お)いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「此(こ)のけしきたふとくみえて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参(まゐ)らせられたりけるとぞ。
原文と現代語訳
西大寺(さいだいじ)の静然(じやうねん)上人、腰かがまり、眉(まゆ)白く、誠に徳たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参(まゐ)られたりけるを、西園寺(さいをんじ)の内大臣殿(ないだいじんどの)、「あな、たふとのけしきや」とて、信仰のきそくありければ、資朝卿(すけとものきやう)これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。
西大寺の静然上人が(老いて)腰が曲がり、眉は白くなって、たいそう高徳らしい様子で、内裏へ参入なさっていたのを、西園寺の内大臣実衡公が、「ああ何とも尊い様子だなあ」と言って、(上人に対して)信仰心を深めるような様子が見えたところ、日野資朝卿がこれを見て、「年をとっている(だけな)のでございます」と(実衡公に)申し上げなさった。
後日(ごじつ)にむく犬のあさましく老(お)いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「此(こ)のけしきたふとくみえて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参(まゐ)らせられたりけるとぞ。
(さて、その)何日か後に(資朝卿は)むく犬であきれふほどひどく年をとってやせ衰えて、(ところどころ)毛が抜けているのを(従者に)引かせて、「この犬の様子は尊く見えることでございます」と言って、内大臣のもとにおさしあげになっていらっしゃったということだ。
現代語訳
西大寺の静然上人が(老いて)腰が曲がり、眉は白くなって、たいそう高徳らしい様子で、内裏へ参入なさっていたのを、西園寺の内大臣実衡公が、「ああ何とも尊い様子だなあ」と言って、(上人に対して)信仰心を深めるような様子が見えたところ、日野資朝卿がこれを見て、「年をとっている(だけな)のでございます」と(実衡公に)申し上げなさった。(さて、その)何日か後に(資朝卿は)むく犬であきれふほどひどく年をとってやせ衰えて、(ところどころ)毛が抜けているのを(従者に)引かせて、「この犬の様子は尊く見えることでございます」と言って、内大臣のもとにおさしあげになっていらっしゃったということだ。
語句の意味・用法
西大寺(さいだいじ)の静然(じやうねん)上人、腰かがまり、眉(まゆ)白く、誠に徳たけたる有様(ありさま)にて、内裏(だいり)へ参(まゐ)られたりけるを、西園寺(さいをんじ)の内大臣殿(ないだいじんどの)、「あな、たふとのけしきや」とて、信仰のきそくありければ、資朝卿(すけとものきやう)これを見て、「年のよりたるに候ふ」と申されけり。
徳たけたる
徳がたけている、高徳らしい。
ここの「長く・たく」は、「十分になる」「盛んになる」の意。
たふと
「たふと」は、「たふとし」の語幹。
感動的に言う際は、形容詞の語幹が用いられます。
後日(ごじつ)に、むく犬のあさましく老(お)いさらぼひて、毛はげたるをひかせて、「此(こ)のけしきたふとくみえて候ふ」とて、内府(だいふ)へ参(まゐ)らせられたりけるとぞ。
老(お)いさらぼひて
「さらぼふ」は、「やせ衰える」意。
内府(だいふ)
内大臣の唐名。
参(まゐ)らせ
「参らせ」は、下二段の謙譲動詞「参らす」の未然形。