徒然草 よろづの事、外に向きて求むべからず 第171段
卜部兼好(吉田兼好)の「徒然草」第百七十一段の後半部の原文、現代語訳、語句の意味・用法です。
前半部は、貝覆いの遊びを記しているのですが、この段の肝は後半部なので、後半部だけ記します。
原文
よろづの事、外(ほか)に向きて求むべからず。ただここもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎやう)じて、前提(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。世を保(たも)たん道もかくや侍らん。内(うち)を慎(つつし)まず、軽く、欲(ほ)しきままにして、濫(みだ)りなれば、遠国(とほきくに)必ず叛(そむ)く時、始(はじ)めて謀(はかりごと)を求む。「風に当(あた)り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病(やまひ)を神霊(しんれい)に訴ふるは愚(おろ)かなる人なり」と医書に言へるが如(ごと)し。目の前なる人の愁(うれへ)をやめ、恵(めぐみ)を施(ほどこ)し、道を正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して、徳を敷(し)くにはしかざりき。
原文と現代語訳
よろづの事、外(ほか)に向きて求むべからず。
何事も自分以外のものに向かって求めてはいけない。
ただここもとを正しくすべし。
いちずに、一番手近な自分自身を正しくするがよい。
清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎやう)じて、前提(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。
清献公の言葉に、「(ただ)よいことをおこなって、先のことは問題にしてはならない」と言って(いるのが)ある。
世を保(たも)たん道もかくや侍らん。
世の中を治め保持していく方法も、おそらくこれと同様でありましょう。
内(うち)を慎(つつし)まず、軽く、欲(ほ)しきままにして、濫(みだ)りなれば、遠国(とほきくに)必ず叛(そむ)く時、始(はじ)めて謀(はかりごと)を求む。
国内の政治に気をつけず、軽々しく、勝手気ままであって、だらしがないと、遠国が必ず離反し、その時になって、はじめてどうしたらよいかとその計画を人に尋ね求める。
「風に当(あた)り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病(やまひ)を神霊(しんれい)に訴ふるは愚(おろ)かなる人なり」と医書に言へるが如(ごと)し。
(これは)「風に当たり、湿気のある所に寝(て、それが原因で病気になっ)て病気の平癒(へいゆ)を神に祈願(きがん)するのは愚かな人だ」と医書に書いてあるのと同じよう(に愚か)なことである。
目の前なる人の愁(うれへ)をやめ、恵(めぐみ)を施(ほどこ)し、道を正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。
目の前にいる人の心配事をなくしてやり、(困っている人に)恵みを施し、政道を正しくするならば、その感化が遠い地方にまで流れ及ぶであろうことを知らないでいるのだ。
禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して、徳を敷(し)くにはしかざりき。
禹が、行って三苗を征したことも、(その効果は)軍を返して徳政をしくのに比べてはまさらなかった。
現代語訳
何事も自分以外のものに向かって求めてはいけない。いちずに、一番手近な自分自身を正しくするがよい。清献公の言葉に、「(ただ)よいことをおこなって、先のことは問題にしてはならない」と言って(いるのが)ある。世の中を治め保持していく方法も、おそらくこれと同様でありましょう。国内の政治に気をつけず、軽々しく、勝手気ままであって、だらしがないと、遠国が必ず離反し、その時になって、はじめてどうしたらよいかとその計画を人に尋ね求める。(これは)「風に当たり、湿気のある所に寝(て、それが原因で病気になっ)て病気の平癒(へいゆ)を神に祈願(きがん)するのは愚かな人だ」と医書に書いてあるのと同じよう(に愚か)なことである。目の前にいる人の心配事をなくしてやり、(困っている人に)恵みを施し、政道を正しくするならば、その感化が遠い地方にまで流れ及ぶであろうことを知らないでいるのだ。禹が、行って三苗を征したことも、(その効果は)軍を返して徳政をしくのに比べてはまさらなかった。
語句の意味・用法
よろづの事、外(ほか)に向きて求むべからず。ただここもとを正しくすべし。清献公(せいけんこう)が言葉に、「好事(こうじ)を行(ぎやう)じて、前提(ぜんてい)を問ふことなかれ」と言へり。世を保(たも)たん道もかくや侍らん。内(うち)を慎(つつし)まず、軽く、欲(ほ)しきままにして、濫(みだ)りなれば、遠国(とほきくに)必ず叛(そむ)く時、始(はじ)めて謀(はかりごと)を求む。「風に当(あた)り、湿(しつ)に臥(ふ)して、病(やまひ)を神霊(しんれい)に訴ふるは愚(おろ)かなる人なり」と医書に言へるが如(ごと)し。目の前なる人の愁(うれへ)をやめ、恵(めぐみ)を施(ほどこ)し、道を正しくせば、その化(くわ)遠く流れん事を知らざるなり。禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して、徳を敷(し)くにはしかざりき。
ここもと
此処許(ここもと)。もっとも手近なところ。自分自身。
清献公(せいけんこう)
中国宋時代の人で、名臣とされた。
禹(う)の行きて三苗(さんべう)を征(せい)せしも、師(いくさ)を班(かへ)して、徳を敷(し)くにはしかざりき。
禹は、中国の高徳の帝王、堯(ぎょう)・舜(しゅん)のあとの帝王。
三苗は、南方に元々暮らしていた人々。
禹が舜に仕えていた頃、その命で三苗を征しようとしたが、なかなか服さなかぅた。そこで、軍を返し、徳政を布いたところ、三苗が服したという故事(書経から。
蛮族、なんていうのは、征服者側の勝手な名付けですね。
しかざりき
「及ばなかった」の意。