徒然草 よろづの道の人 第百八十七段 原文と現代語訳
卜部兼好(吉田兼好)の徒然草 第百八十七段です。
原文と現代語訳、語句の意味・用法と記していきます。
原文
よろづの道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ずまさる事は、たゆみなく慎(つつし)みて軽々(かろがろ)しくせぬと、ひとへに自由なるとの等(ひと)しからぬなり。芸能所作(しょさ)のみにあらず、大方(おほかた)のふるまひ、心遣(こころづか)ひも、愚かにして慎(つつし)めるは、得(とく)の本(もと)なり。巧(たくみ)にして欲(ほ)しきままなるは、失(しつ)の本(もと)なり。
原文と現代語訳
よろづの道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ずまさる事は、たゆみなく慎(つつし)みて軽々(かろがろ)しくせぬと、ひとへに自由なるとの等(ひと)しからぬなり。
いろいろな道の(代々の)専門家は、たとい下手(へた)であるといっても、上手(じょうず)な素人(しろうと)に並ぶ時、必ずまさ(っている)こと(のわけ)は、(代々の専門家は)怠(おこた)ることなく慎んで、軽率(けいそつ)に事をしないのと、(素人は)いちずに勝手気ままであることが、同一でないからである。
芸能所作(しょさ)のみにあらず、大方(おほかた)のふるまひ、心遣(こころづか)ひも、愚かにして慎(つつし)めるは、得(とく)の本(もと)なり。
(このようなことは)芸能およびその動作だけではなく、(日常の)一般の行為や、心の用い方も、鈍くて深く注意しているのは、(or 愚かなれども深く注意しているのは、)成功のもとである。
巧(たくみ)にして欲(ほ)しきままなるは、失(しつ)の本(もと)なり。
器用であって勝手気ままなのは、失敗のもとである。
現代語訳
いろいろな道の(代々の)専門家は、たとい下手(へた)であるといっても、上手(じょうず)な素人(しろうと)に並ぶ時、必ずまさ(っている)こと(のわけ)は、(代々の専門家は)怠(おこた)ることなく慎んで、軽率(けいそつ)に事をしないのと、(素人は)いちずに勝手気ままであることが、同一でないからである。(このようなことは)芸能およびその動作だけではなく、(日常の)一般の行為や、心の用い方も、鈍くて深く注意しているのは、(or 愚かなれども深く注意しているのは、)成功のもとである。器用であって勝手気ままなのは、失敗のもとである。
語句の意味・用法
よろづの道の人、たとひ不堪(ふかん)なりといへども、堪能(かんのう)の非家(ひか)の人に並ぶ時、必ずまさる事は、たゆみなく慎(つつし)みて軽々(かろがろ)しくせぬと、ひとへに自由なるとの等(ひと)しからぬなり。芸能所作(しょさ)のみにあらず、大方(おほかた)のふるまひ、心遣(こころづか)ひも、愚かにして慎(つつし)めるは、得(とく)の本(もと)なり。巧(たくみ)にして欲(ほ)しきままなるは、失(しつ)の本(もと)なり。
たとい
呼応の副詞です。
仮定の「とも」で受けるのが本来の形です。
たとい~とも、……。
不堪(ふかん)
不堪能(ふかんのう)のこと。
「堪」は、たえる、もちこたえる、といった意。
堪能(かんのう)
才能がすぐれ、事に巧みなこと。
非家(ひか)
「非家」→「(その)家にあらずは」
代々、その道を専門にしている家ではないもの。素人。
自由
この「自由」は、「勝手」「気まま」といった意。マイナスのイメージで使っています。
愚かにして
巧(たくみ)にして
ここの「て」は、逆接的な意の書き方です。
よって、「鈍くて」と訳しても良いし、「 愚かなれども」と訳してもOK牧場です。
「器用であって」と訳しても良いし、「器用であっても」と訳してもOK牧場です。