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源氏物語 生ひ立たむありかも知らぬ 垣間見 若紫 その4

源氏物語 かいまみ 若紫 その4です。

原文、現代語訳、語句の意味・用法と記していきます。

原文

 「生い立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき」
また居(ゐ)たる大人、「げに」とうち泣きて、
 「はつ草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えむとすらむ」
と聞(きこ)ゆる程に、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端(はし)におはしましけるかな。この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。いみじう忍び給ひければ、え知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにも詣(まう)でざりける」と宣(のたま)へば、「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて、簾おろしつ。「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。世を捨てたる法師(ほふし)の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御有様(ありさま)なり。いで御消息(せうそこ)聞(きこ)えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな。何人ならむ、かの人の御代(か)はりに、明暮(あけくれ)の慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。

原文と現代語訳

 「生い立たむありかも知らぬ若草をおくらす露ぞ消えむそらなき」

 (尼君が)「これから先どう成長していくのか、その将来もわからない若草のような姫を後に残して消えようとする露のような私は、死ぬにも死にきれない気持ちです」

また居(ゐ)たる大人、「げに」とうち泣きて、

(とお詠みになると、少納言の他に)もう一人、座っている女房が、「ごもっともでございます」とほろほろ泣いて、
 「はつ草の生ひゆく末も知らぬ間にいかでか露の消えむとすらむ」

 「今萌えだしたばかりの草のような姫君の御将来もわからないうちに、どうしてあなたは、露消えるように、この世を去ろうとなさるのでしょう。(そのようなお気の弱さではなりません。)」
と聞(きこ)ゆる程に、僧都(そうづ)あなたより来て、「こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端(はし)におはしましけるかな。

と歌でお答え申し上げているところに、僧都が向こうから来て、「こちらはまる見えではございませんか。よりによって、今日も今日、端近(はしぢか)な所【=縁側に近い所。家の中で出入口に近い所。あがりばな。】にいらっしゃったのですね。

この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。

この上の高僧の所に、源氏の中将が、おこりの呪いにおいでになったのを、たった今、耳にしました。

いみじう忍び給ひければ、え知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにも詣(まう)でざりける」と宣(のたま)へば、

ひどくお忍びなので、気がつきませんで、ここに居(お)りながら、お見舞いにも参上いたしませんでしたよ」とおっしゃると、

「あないみじや。いとあやしきさまを人や見つらむ」とて、簾おろしつ。

(尼君は)「まあ、たいへん。こんな見苦しい様子を人が見てしまっているかしら」と言って、簾をおろした。

「この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。

(僧都は)「世間で大評判がおありの光源氏の君を、こういう機会に拝みなさいませんか。

世を捨てたる法師(ほふし)の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御有様(ありさま)なり。

(私のように)世間を捨てた法師の心にも、すっかり現世の悲しみを忘れ、寿命がのびる程の美しい御容姿です。

いで御消息(せうそこ)聞(きこ)えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。

さあ、御挨拶を申し上げましょう」と言って、立ち上がる音がするので、(源氏の君は)お帰りになった。

あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。

(その御心のうちに)可憐な人を見たものだなあ、こんなぐあいだから、あの好色者たちは、こんな忍び歩きばかりして、うまく、見つけられそうもない美しい女を見つけるのだったなあ。

たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。

たまに出かけてさえ、このように思いがけないことに出合うと、面白くお思いになる。

さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな。

それにしても、本当にかわいかった子どもだな。

何人ならむ、かの人の御代(か)はりに、明暮(あけくれ)の慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。

どういう人だろう、あの藤壺の宮の御身代わりだと、朝夕の心慰めとして見たいものだ、と思う心が深く胸中にしみこんだ。

現代語訳

(尼君が)「これから先どう成長していくのか、その将来もわからない若草のような姫を後に残して消えようとする露のような私は、死ぬにも死にきれない気持ちです」

(とお詠みになると、少納言の他に)もう一人、座っている女房が、「ごもっともでございます」とほろほろ泣いて、

「今萌えだしたばかりの草のような姫君の御将来もわからないうちに、どうしてあなたは、露消えるように、この世を去ろうとなさるのでしょう。(そのようなお気の弱さではなりません。)」

と歌でお答え申し上げているところに、僧都が向こうから来て、「こちらはまる見えではございませんか。よりによって、今日も今日、端近(はしぢか)な所【=縁側に近い所。家の中で出入口に近い所。あがりばな。】にいらっしゃったのですね。

この上の高僧の所に、源氏の中将が、おこりの呪いにおいでになったのを、たった今、耳にしました。

ひどくお忍びなので、気がつきませんで、ここに居(お)りながら、お見舞いにも参上いたしませんでしたよ」とおっしゃると、

(尼君は)「まあ、たいへん。こんな見苦しい様子を人が見てしまっているかしら」と言って、簾をおろした。

(僧都は)「世間で大評判がおありの光源氏の君を、こういう機会に拝みなさいませんか。

(私のように)世間を捨てた法師の心にも、すっかり現世の悲しみを忘れ、寿命がのびる程の美しい御容姿です。

さあ、御挨拶を申し上げましょう」と言って、立ち上がる音がするので、(源氏の君は)お帰りになった。

(その御心のうちに)可憐な人を見たものだなあ、こんなぐあいだから、あの好色者たちは、こんな忍び歩きばかりして、うまく、見つけられそうもない美しい女を見つけるのだったなあ。

たまに出かけてさえ、このように思いがけないことに出合うと、面白くお思いになる。

それにしても、本当にかわいかった子どもだな。

どういう人だろう、あの藤壺の宮の御身代わりだと、朝夕の心慰めとして見たいものだ、と思う心が深く胸中にしみこんだ。

語句の意味・用法

生い立たむありかも知らぬ若おくらす消えむそらなき」

「はつ生ひゆく末も知らぬ間にいかでか消えむとすらむ」

生い立たむありか

生長して落ち着く所。「ありか」は、あり場所。

おくらす

あとに残す。

縁語 →「草」「生ふ」・「草」「露」・「露」「消ゆ」

「露」は、はかない人の身で、尼君自身をいっています。「消ゆ」は、死ぬ意。

またまた居(ゐ)たる大人、「げに」とうち泣きて、

また

「別の」「もう一人の」

少納言を「この居たる大人」といったことに対して、「また居たる大人」といっています。

「この居たる大人」が記されているのは、ここ → 源氏物語「雀の子を犬君が逃がしつる」若紫との出会い 現代語訳 品詞分解 垣間見 その2

僧都(そうづ)あなたより来て、『こなたはあらはにや侍らむ。今日しも端(はし)におはしましけるかな。

あなた

方角の代名詞。

この上(かみ)の聖(ひじり)の方(かた)に、源氏の中将の、瘧病(わらはやみ)まじなひにものし給ひけるを、ただ今なむ聞きつけ侍る。

ものす

ここは、「来る」の代動詞。

いみじう忍び給ひければ、え知り侍らで、ここに侍りながら、御とぶらひにも詣(まう)でざりける」と宣(のたま)へば、

侍り(連用形)+ながら 

連用形につく「ながら」は、接続助詞として働きます。①~ながら、~するままで。②けれども、にもかかわらず。ここは、②の意です。

とぶらひ

見舞い、訪問の意。

詣(まう)で

「まうづ」→「行く・来る」の謙譲語

この世にののしり給ふ光源氏、かかるついでに見奉り給はむや。

ののしり

「ののしる」は、やかましく評する、大騒ぎするの意。これより転じて、評判になっている。大したものだ。

世を捨てたる法師(ほふし)の心地にも、いみじう世の愁へ忘れ、齢(よはひ)のぶる人の御有様(ありさま)なり。

人の御有様

この「人」は、光源氏をさしています。

いで御消息(せうそこ)聞(きこ)えむ」とて立つ音すれば、帰り給ひぬ。

消息(せうそこ)

たより、案内、訪れ、挨拶、といった意。

あはれなる人を見つるかな、かかれば、このすき者どもは、かかる歩(あり)きをのみして、よくさるまじき人をも見つくるなりけり。

歩(あり)き

あちこち徘徊すること。

よくさるまじき人をも見つくるなりけり 

→ 「よく」は、「見つくる」にかかっています。「さる」も「見つくる」をさしています。

たまさかに立ち出づるだに、かく思ひの外(ほか)なることを見るよ、とをかしう思す。

たまさかに

たまに、まれに。万一。

さても、いとうつくしかりつる児(ちご)かな。

児(ちご)

乳飲み子から十歳くらいまでの子をいいます。

何人ならむ、かの人の御代(か)はりに、明暮(あけくれ)の慰めにも見ばや、と思ふ心深うつきぬ。

かの人 

あの人の意。ここでは、藤壺の宮のことをいっています。