言葉を磨けば、生き方が変わる
時間の間、空間の間
日常会話の中では、間(ま)というものをできるだけつくらないという傾向があります。
間を、気まずい時間、相手との距離感のように捉えるのですね。
間は、時間の間であり、空間の間です。
時間と空間を共有するのが会話です。
間をつくると、その場の空気が時間とともに流れていかなくなり、重苦しい雰囲気を身に感じてしまうのでしょう。
また、話が先に進まないことを、良しとしないというところもあるのでしょう。
軽はずみなことを言ってしまったり、通り一遍(いっぺん)のことを言ってしまったり、的外(まとはず)れなことを言ってしまったりする一因には、間への恐れがあります。
たわいない会話なら、それでもどうということもないかもしれません。
たわいないやり取りは、人間関係を潤(うるお)すのに必須なものでもありますから。
思考を鍛えるには、間が必要
しかし、次元の違う、重要な会議、取り引きでは、どうでしょう。
国会では、外交ではどうでしょう。
言葉の軽さは、その言葉を扱う人間の存在の軽さとなります。
それは、言葉を、大切にしていないということです。
つまり、思考が働いていない。
だから、失言もする。
信頼を失(な)くす。
日常の感覚で、それとは違う次元の言葉は扱えません。
これは、文章を読む際にも、いえることです。
読み方を知らなければ、文章の「間(ま)」に、気づくこともできない。
速読だ、多読だと、いくら吹聴(ふいちょう)しても、読めていないのでは何にもなりません。
思考を鍛えるには、自身の脳という間(ま)と、時間という間(ま)が必要なのです。
個の世界観とは、個が持つ言葉
本を読む習慣のない人の世界が広がっていかないのは、日常の言葉、自分の生きる世界の言葉しか持っていないからです。
その世界のことしか考えない、考えようとしない、考えられない。
他者の優れた言葉を糧に、自分の言葉を、思考を磨いていかなければ、自身の生きる世界が広がっていくことはありません。
現実の世界は刻々と変化していきますから、自分の世界はどんどん狭(せば)まっていくといってもいい。
個の世界観とは、個が持つ言葉なのです。
目で確かめることが、思考の第一歩
語彙力とは、言葉と言葉の結びつき、連続性、関係性、マクロとミクロの理解、といった言葉を扱う能力をいいます。
生き生きとした動きをしない言葉は、自分の言葉とはいえず、それは自身の語彙力とはなっていないのです。
日々生きている中での語彙力アップはそう難しいことではありません。
良書を読んでいけばいい。
そして、その傍らには辞書を置く。
良書の文章は、言葉と言葉がしっかりつながっていますから、意味と意味の連続性、関係性、それを自身の目で確かめることができます。
目で確かめるということが、思考の第一歩です。
それをすることによって、書き手の思考も鮮明になります。
言葉は、考え方、生き方
本来、読書は、人として生きていく上での日々の営みです。
私たちが生まれたこの世界は、自分で知ろうとしなければ、知ることができない世界です。
世界は言葉でできています。
時間がなくて本が読めないというのは、世界を知らずに生きているということです。
自分で自分の人生を不幸にしているともいえます。
最も自分自身を磨くことのできる時間を自ら放棄(ほうき)してしまっていることですから。
本を読む時間は、自分自身で確保すべき時間です。
個としての言葉を磨いていけば、個の生き方そのものが変わります。
個の持つ言葉はその人の思考、ものの考え方そのものであって、生き方そのものです。