あづま路の道の果て 現代語訳 品詞分解 更級日記 門出
更級日記 あづま路の道の果て(門出・あこがれ) 原文
あづま路の道の果てよりも、なほ奥つかたにおひいでたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなる昼間、宵居などに、姉、まま母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏の有様など、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。
更級日記 あづま路の道の果て(門出・あこがれ) 現代語訳
東海道の果て(である常陸の国)よりも、さらに奥まった田舎(である上総【かずさ】の国)で育った人間(である私)は、どんなにか田舎くさい娘であったことだろうに、どうして(そんなことを)考えるようになったのか、この世の中に物語というものがあるということを聞き、どうにかしてそれを見たいものだと思い続け、何もすることのない昼間や宵の家族の集まりなどの折に、姉や継母といったような人々が、その物語、あの物語、(とりわけ)光源氏の物語の内容などを、ところどこを語ってくれるのを聞くと、(その続きを)ますます知りたい気持ちがつのっていったが、(その人々も)私が満足するほどに、そらで思い出して語ってくれることが、どうしてできようか。
更級日記 あづま路の道の果て(門出・あこがれ) 品詞分解
あづま路の道の果てよりも
あづま路 → 名詞
の → 格助詞
道 → 名詞
の → 格助詞
果て → 名詞
より → 格助詞
も → 係助詞
なほ奥つかたにおひいでたる人
なほ → 副詞
奥つかた → 名詞
に → 格助詞
おひいで → 動詞・ダ行下二段活用・連用形
たる → 助動詞・完了・連体形
人 → 名詞
いかばかりかはあやしかりけむを
いかばかり → 副詞
か → 係助詞
は → 係助詞
あやしかり → 形容詞・連用形
けむ → 助動詞・過去・連体形
を → 接続助詞
いかに思ひはじめけることにか
いかに → 形容動詞・連用形
思ひ → 動詞・ハ行四段活用・連用形
はじめ → 動詞・マ行・下二段活用・連用形
ける → 助動詞・過去・連体形
こと → 名詞
に → 助動詞・断定・連用形
か → 係助詞
世の中に物語といふもののあんなるを
世の中 → 名詞
に → 格助詞
物語 → 名詞
と → 格助詞
いふ → 動詞・ハ行四段活用・連体形
もの → 名詞
の → 格助詞
あん → 動詞・ラ行変格活用・連体形
なる → 助動詞・伝聞・連体形
を → 格助詞
いかで見ばやと思ひつつ
いかで → 副詞
見 → 動詞・マ行・上一段活用・未然形
ばや → 終助詞
と → 格助詞
思ひ → 動詞・ハ行四段活用・連用形
つつ → 接続助詞
つれづれなる昼間
つれづれなる → 形容動詞・連体形
昼間 → 名詞
宵居などに
宵居 → 名詞
など → 副助詞
に → 格助詞
姉、まま母などやうの人々の
姉 → 名詞
まま母 → 名詞
など → 副助詞
やう → 名詞
の → 格助詞
人々 → 名詞
の → 格助詞
その物語、かの物語、光源氏の有様など
そ → 代名詞
の → 格助詞
物語 → 名詞
か → 代名詞
の → 格助詞
物語 → 名詞
光源氏 → 名詞
の → 格助詞
有様 → 名詞
など → 副助詞
ところどころ語るを聞くに
ところどころ → 名詞
語る → 動詞・ラ行四段活用・連体形
を → 格助詞
聞く → 動詞・カ行四段活用・連体形
に → 接続助詞
いとどゆかしさまされど
いとど → 副詞
ゆかしさ → 名詞
まされ → 動詞・ラ行四段活用・已然形
ど → 接続助詞
わが思ふままに
わ → 名詞
が → 格助詞
思ふ → 動詞・ハ行四段活用・連体形
まま → 名詞
に → 格助詞
そらにいかでかおぼえ語らむ。
そら → 名詞
に → 格助詞
いかで → 副詞
か → 係助詞
おぼえ → 動詞・ヤ行下二段活用・連用形
語ら → 動詞・ラ行四段活用・未然形
む → 助動詞・推量・連体形
菅原孝標の女 筆致流麗
「更級日記」は、菅原孝標の女(すがわらたかすえのむすめ)の作です。
13歳の少女期、父の任国であった上総(かずさ)の国を発ったところから筆を起こし、夫の橘俊通(たちばなのとしみち)と死別する頃までの、およそ四十年間の追憶を流麗な筆致で記しています。
「筆致流麗(ひっちりゅうれい)」とは、まさに彼女のような筆をいいます。(「筆致流麗」とは、なだらかでうるわしい書き方のことです。)
今の時代の、「短文で書きましょう」とか、「削れるだけ削りましょう」とかいう物言いを、菅原孝標の女が聞いたら、きっと大きなため息をつくことでしょう。
彼女の母親は、藤原倫寧の女(ふじわらのともやすのむすめ)で、「蜻蛉日記」の作者の藤原道綱の母(ふじわらのみちつなのはは)は、母方の伯母にあたります。(※藤原倫寧は、歌人でもありました。勅撰の「後拾遺和歌集」に、彼の歌があります。)
菅原孝標の女は、いわゆる「学問」の家系に生まれ、育ったんですね。
ちなみに、この「××の女」とか、「××の母」とかいう書き方は、男中心の世界だった表れです。
平安時代に限らず、日本に限らず、古今東西、言葉というものには、男尊女卑の意が色濃くあります。