レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉 「十分に終わりのことを考えよ。まず最初に終わりを考慮せよ」
大人の「読む力」の「他者の思考を理解することで、自らの思考も磨かれる」をご確認ください。
以下が、大人の「読む力」、第三章の最後の内容の原形です。
そもそも違う2つのテーマでした。
本来あるべき姿です。
※岩波文庫の原文で「終り」、そして「まず最初」という表記になっています。引用ですから、そのまま記すのが基本です。
終わりと始まり
レオナルド・ダ・ヴィンチに、こんな言葉があります。
「十分に終(おわ)りのことを考えよ。まず最初に終りを考慮せよ。」(「レオナルド・ダ・ヴィンチの手記 上」【38ページ】岩波文庫)
人生論の中で紹介されている言葉です。
生きていく上でのいろいろなことにあてはめられるわけですが、作品の制作においてもこの言葉は通じるでしょう。
何かを書く、話す、その一番の難しさは、終わらせ方です。
それを失敗すれば、すべてが台無しになってしまうからです。
始めと終わりというものは、全体というマクロ的構想が形となったものからの始めと終わりです。
全体の完成形がなければ、始めと終わりは存在しません。
始めと終わりの意味の完成は、全体のバランス、つりあいの完成でもあるのです。
つまり、終わりを考えることは、そこからの始まりを考えること、そこへ至るまでの内容を考えることともいえるのです。
レオナルド・ダ・ヴィンチの言葉を、人生という作品の完成形、と捉えれば、その終わりは死です。
死を考えるということは、いかに日々を生きるかということの裏返しでもあります。
人生の節目(ふしめ)は自らでもつくれるものです。
それが「始め」となります。
生きていれば、いつからでも始められるのです。
どのように死ねるのかは、今をどのように生きるのかにかかっています。
そもそも以下は、別テーマです。
知識を論理的に思考する
知識を記憶することにおいて、それを抽出することにおいて、私たち人間はAIに及びません。
しかし、それについては、AIを活用すればいいだけの話です。
ただ知識を脳に詰め込む時代は終わりました。
私たち人間が磨くべきは、その知識を、論理的に、深く、多様に、思考する力です。
それが自身の言葉の力となります。
文章理解とは、他者の考えの理解
文章において、他者の考え、言葉が、マクロ的ポイントになるのも、そこに大きな価値があるからです。
文章理解とは、他者の考えの理解です。
内容理解のために、文章中の言葉をいじる、言葉を置き換える、というのは有効な一手段ではあります。
しかし、それで原文の内容を壊してはいけません。
本当に力のある書き手は、いくつもある言葉の中から、その一語を選んでいます。
その一語が、書き手の思考なのです。
自身と他者の思考の違い、一語の違いは、微妙なニュアンスのようで、実は大きく違うのです。
論理的に読むということは、論理的に考えるということです。
その基本は、他者の思考の認識と尊重なのです。
まずは、ありのままによく見ましょう。
一本の木の若葉一枚でも。
それが確かな森を見る目にもつながります。
その目が、読む力が、自身の思考を磨いていきます。
他者の言葉を受けとめる、他者の存在を認めるという行為は、自身の視野を広げ、思考を柔軟にもしていくことになるでしょう。