クリント・イーストウッド 運び屋 THE MULE その意味
このカテゴリーは、一切、ネタバレ無し!
あらすじも記しません。
映画は、予備知識なんてないほうが楽しめます。
クリント・イーストウッド
監督もこなす俳優は数多くいますが、監督した作品内容を高く評価できるという点で、クリント・イーストウッドは監督兼俳優の中でも傑出しています。
「許されざる者」も、「ミリオンダラー・ベイビー」も、「グラン・トリノ」も、感動作でした。
クリント・イーストウッドは、実に、すばらしい映画監督であり、すばらしい俳優です。
ダーティハリー時代よりも、断然かっこいい!
僕は、クリント・イーストウッドが、今のような演技をする俳優になるとは、ダーティハリー時代、思ってもいませんでした。
44マグナムは、あこがれましたけどね。
老いてからのクリント・イーストウッドは、名優中の名優です。
44マグナムをぶっ放していたダーティハリーの頃よりも、断然、かっこいい。
あれだけの枯れた演技ができる俳優は、クリント・イーストウッドの他にいません。
「ミリオンダラー・ベイビー」でも、「グラン・トリノ」でも、すばらしい演技でしたけど、この「運び屋」はさらにすばらしい演技をしています。
THE MULE
この作品、邦題は「運び屋」です。
これは、原題の「THE MULE」をそのまま訳したものですね。
麻薬なんかを運ぶ、特に、素人を、「MULE」っていいます。
一般の人間のほうが、警察に目をつけられずに、ブツを運べるからなんですね。
そもそも、「MULE」は、荷物を運ぶ「ラバ」の意味です。
そのラバは、ロバと馬の雑種なので、「MULE」は、「雑種」の動物の意味もあります。
それに、「頑固者」とか、「愚か者」って意味も。
この「MULE」というタイトルには、この言葉が持つ意味がすべて含まれています。
「MULE」は、麻薬を運ぶのに都合のいい、「ラバ」のような、おとなしくて使い勝手のいい、愚かな人間。
マフィアも警察も、侮蔑の気持ちを込め、「MULE」と呼ぶわけです。
でも、この映画の中の「MULE」、ただの使い勝手のいい、愚かな人間ではありません。
麻薬ではないものを、幾人にも、そして自分自身にも、運ぶことになります。
省略の意味、行間の意味がたくさんあるのが、文芸作品の一つの特徴でもあります。
そういう文芸作品を、秀逸な映画に撮れる、その中の役を演じられる、クリント・イーストウッド。
本当に、すごい監督で、すごい俳優です。
愛する人がいるということ、愛してくれる人がいるということ
「運び屋」、実話を基にした社会派ドラマで、感動作です。
悲しく切なくなるくらい大感動します。
愛の映画、人間の生の映画です。
ただの麻薬絡みの映画作品では、ありません。
愛する人がいる、ということ。
自分を愛してくれる人がいる、ということ。
それは、人生において、この上なく幸せである、ということですね。
愛することの大切さ、愛してもらえることのありがたさ、それに気づくのは、愛する人も、愛してくれる人もいない時です。
人間は、やっぱり、愛ですね。
クリント・イーストウッドの「運び屋」は、人生と愛の大切さを、悲しく切なくなるくらい、感じさせてくれます。
感動とともに、エンドロールを最後まで見られる映画
ラストの「おまけ」なしのエンドロールを、最後まで、じっくり見ることのできる映画って、そうはありません。
この「運び屋」は、エンドロールの最後まで、感動とともに見ることのできる映画です。名作です。