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咳をしても一人 意味 自由律俳句 尾崎放哉を読む

#人生,#季語

尾崎放哉 小豆島西光寺南郷庵 

「咳をしても一人」

 尾崎放哉(おざきほうさい)の句です。

 放哉は、小豆島の西光寺の南郷庵(みなんごあん)でおよそ八ヵ月暮らし、そして亡くなります。

「咳をしても一人」は、その南郷庵時代の作です。 

 尾崎放哉の名前は知らずとも、この句は知っている、という人も多いようです。

自由律の俳句 無季

「咳をしても一人」は、「自由律」で、「無季」です。 

「自由律」とは、定型を破った短歌や俳句をいいます。 

 短歌の定型は五七五七七の三十一文字(みそひともじ)、俳句の定型は五七五の十七文字ですね。

「咳をしても一人」は、「せきをしてもひとり」と九文字です。

「無季」とは、季語を含まない俳句のことです。

基本はこちら 

俳句とは 季語と歳時記と折折の花

芭蕉の作品と「俳句」と「発句」と「俳諧の連歌」の基礎知識

咳をしても一人  意味・解釈  

「咳をしても一人」

意味・解釈

 激しい咳をして苦しいが、自分には看病してくれる人もいなければ、身を心配してくれる人もいない。

 ただ一人。

 孤独である。

「咳をしても一人」

「咳を」「する」ことと、「一人」が対置されています。

つまり、「病気」と「一人」の対置。

これにより、「悲痛」「寂しさ」「孤独」が端的に表れることになります。

放哉は、結核でした。

咳に、ひどく苦しみます。

そして、何より、一人だった。

どうぞ注意してください。

「咳をしても一人」には、「音」がありますね。

「咳」です。

 南郷庵の中での「音」は、この「咳」だけです。

 これにより、庵(=家)の中の「静けさ」がより鮮明に浮かび上がります。

 この「静けさ」こそが、「孤独」です。

 そして「静けさ」=「孤独」を際立たせた「咳」は結核(死への病)によるもの。

「悲痛」です。

墓地からもどって来ても一人  意味・解釈

 放哉には、「咳をしても一人」の句の他に、「墓地からもどって来ても一人」という句もあります。

 この句も、小豆島南郷庵時代の作です。

「墓地からもどって来ても一人」

「墓地」は、「場所」ですから、この句には、「場所」の比較が生じます。

「墓地からもどって来て」というのは、「南郷庵(=家)」です。

「墓地からもどって来ても一人」、つまり、放哉の思いの中では、本来、「墓地からもどって来」たら、「一人」ではないんですね。

 これは、放哉の願望ともいえます。

「家」には、誰かがいてほしい、家族が待っていてほしい、放哉の場合、妻です。

 しかし、実際は、

「墓地」でも「一人」 = 南郷庵(=家)に「もどって来ても一人」

(放哉は、離れた妻とまた一緒に暮らしたいとずっと思っていました。

 知り合いと接するのと家族と接するのとは違うんですよね。

 実際、放哉は寺の住職や近所の人間とつきあいもありましたし、俳句仲間との手紙のやり取りもじつに頻繁でした。それぞれへの金の無心ということもあったわけですが。)

 さらに「場所」をチェックすれば、「墓地」とは「死の地」です。

 対して、「家」は「生きる地」です。

 つまり、

 死の地(=「墓地」)でも「一人」 = 生きる地(=「家」)でも「一人」

 極めて、「一人」なんですね。

 孤独です。

 寂しい。

 おまけに結核という病です。

 放哉は、自分の死を、「一人」で考えています。

 それは「一人」の死。

 離れてしまった妻を求めての「一人」です。

 愛する人、愛される人のいない「一人」。

 くりかえしますが、小豆島、西光寺の南郷庵という「家」で放哉が過ごすのは人生の最後の八ヵ月間です。

 また、この「墓地からもどって来ても一人」の句には、「咳をしても一人」のような「音」がありません。

「無音」です。

「墓地」でも「無音」、「そこからもどってきても」「無音」。

「音」のない世界が、続いています。

 それは、人の「声」のない世界です。

「墓地」でも、人の「声」がない。

「家」でも、人の「声」がない。

 自分の「声」すらない。

 あるのは、ただ自分の身ひとつだけ。

「一人」なんですね。

 放哉は、今、「一人」で生きています。

 そして、これから、「一人」で死んでいきます。

 享年四十二歳。

 思わず吐息をもらしてしまいそうになりますが、でも、放哉は自分の人生を最後の最後まで生きました。

とことん生きました。

 人は、人として、自分自身として、生まれたら、どうしようもなくても、どうにかこうにか生きるしかないんですよね。

 どうにかこうにか生きて、声を発すれば、手を伸ばせば、必ず、いい人とも出会い、そんな人と触れあえば、笑顔にもなれるものなんですよね。

 放哉も、下の世話までしてくれる人と出会います。

 近所に住む老女でした。

 何の見返りも求めない、本当に心の澄んだやさしい人でした。

孤独感

 寂しさとは、「一人」であることをひしひしと感じることです。

 孤独感です。

 それは、広大な世界の中での、「一人」の存在を実感することです。

 それは、身体で感じるものです。

 人の手のぬくもりがやすらぎになるのは、道理です。

 人はそもそも一人です。

 だから、愛する人を求めるんですよね。

墓のうらに廻る  意味・解釈

放哉にはこんな句もあります。

「墓のうらに廻る」

意味・解釈

 墓地に行った際、ある家の墓の石塔の前に立ち、その石塔の裏に廻(まわ)る。

 この「墓のうらに廻る」の「墓」は、放哉の家の墓ではありません。

 この句もまた、小豆島南郷庵時代の作です。

 放哉は、鳥取県鳥取市で生まれ育ちました。

 最晩年、小豆島西光寺南郷庵で放哉が暮らしたのは、彼と交流のあった荻原井泉水(おぎわらせいせんすい)の紹介からです。

墓のうらに廻る

行為のみをしるした句です。

しかしながら、「墓のうらに廻る」というこの行為には、意図があります。

何という人が、いつ亡くなって、ここに葬られているのか、それを見る、という意図が。

そうして、その意図の底には、さらなる思いがあります。

放哉の思いが。

「墓のうらに廻る」、この文字の中に、意図があり、さらなる思いがある。

何となく「墓のうらに廻る」ようなことを、放哉はしていません。

 墓のつくりというものは、地方によって、時代によって、多少の違いはありますけど、放哉の頃は、「××家之墓」などと刻まれた石塔の裏に、亡くなった人の戒名(かいみょう)や命日が刻まれました。

(昨今は、石塔の横や、その斜め前方に、「墓誌(戒名板)」という石板をたて、そこに戒名や命日が刻まれることが多いですね。) 

「墓のうら」には、供養追善(くようついぜん)のための卒塔婆(そとば)が刺さっている場合もあります。

 卒塔婆とは、その上部を塔の形にした細長い板で、梵字(ぼんじ)や経文(きょうもん)、戒名などが記されます。

「墓のうら」に刻まれた名は、かつて、たしかに生きていた人です。

そして、たしかに死んだ人です。

今生きている放哉も、たしかに、いつの日か、死に、墓の下となります。

「墓のうら」には、名前と日付が刻まれるはずです。 

しかし放哉は今、

「咳をしても一人」

「墓地からもどって来ても一人」です。

放哉の身 

やせたからだを窓に置き船の汽笛

すっかり病人になって柳の糸が吹かれる

肉がやせて来る太い骨である

これらも南郷庵時代の放哉の句ですが、広大な「生」の世界の中で、我が身を詠んでいます。

死が肉体のそれであることがわかります。  

そして、その肉体は、句を詠んでいる放哉そのものです。

それは、放哉の脳であり、精神・心そのものです。

放哉の句が私たちの心をとらえる所以です。

放哉はたしかに自分自身の人生を生きました。

たしかな句をたくさんつくりました。

渥美清さん 「海も暮れきる」(吉村昭) 

 僕が渥美清さんを敬愛しているのは、以前、ちらと記しました。(渥美さんは、俳句が好きでした。) →  俳句とは 季語と歳時記と折折の花

 その渥美さんが「ぜひ演じてみたい」と口にしたのが、吉村昭さんの著した「海も暮れきる」の尾崎放哉でした。

 若い時分、渥美さんは、結核を患い、肺の一つを失くしています。

「放哉の『咳』を、自分はうまくすることができる」と渥美さんは言ったようです。

 しかし、渥美さんが放哉を演じることはありませんでした。

「海も暮れきる」は、渥美さんが声をあげる直前に、NHKでドラマ化されてしまったんです。

 残念です。渥美さんの放哉、見たかったなぁと思います。

※尾崎放哉の最期に関心のある方は「海も暮れきる」をどうぞ。(小説ですから、もちろん、俳句についての解説などは一切ありません。) 

 ただ、心が沈んでいるときに読むのはつらいかもしれません。元気なときにどうぞ。

放哉という人と作品

 尾崎放哉は、偏屈で、破天荒で、酒癖の悪いところがありました。

 しかし、放哉の俳句は、時代を越え、多くの人の心をとらえます。 

 人は、みんな、孤独だからなんですよね。

 人は、一人では生きられません。

 愛する人、愛してくれる人の存在が、自らの生をたしかなものにしてくれます。

 放哉は俳句をつくることで、自身の生を求め続けました。

 自身の生を求めるのって、大変ですよね。

 自分に厳しいばかりだと、やってられません。

 自分を許して、リラックスする時間も必要ですね。

 なるようになる努力をするのも自分ですけれど、「なるようになるさ~」と開き直るのも自分ですものね。

2022年7月16日「雑記帳」#人生,#季語

Posted by 対崎正宏