主語「が」「は」以外 も・こそ・さえ・だけ・の・だって・まで
文の意味の確認が、文章の意味の確認へと通じる
文の意味、と言われた場合、みなさんはどのように考えるでしょう。
文全体を大まかに捉えるでしょうか。文中にあるいい言葉、いわゆるキーワードといわれるような言葉を捉えるでしょうか。
たしかに、聞こえがよくて、見た目のいい言葉というものはありますね。
愛や平和などという言葉は目にとまりやすい言葉です。
しかし、そういう言葉が記されていなかったら、どうしましょう。
ここで、しっかり文というものの意味、文を成り立たせているものの正体をおさえておきましょう。
それが、文章の意味の確認へと通じます。
文というものの意味
一つの意味が完成したところで、句点(。)は打たれます。
それが文です。
文を、意味の上から成り立たせているもの、それを「文の成分」といいます。
日本語の文の成分は、主語・述語・修飾語・接続語・独立語の五つです。
一文は、いくつかの言葉で意味を完成させますが、その意味の根幹となるのは主語と述語です。
述語は、文の中で、主語の意味を最終的に決定づける言葉です。
最終的に、というのは、句点を打って、文の意味がそこで決定づけられるからで、つまり、述語は大概、文の終わりに記されます。
述語の意味
述語の意味は、次の三つのうちのどれかになります。
「どうする」という動きの意味。
「どんなだ」という状態や性質や心情を表す意味。
「何だ」という事柄(ことがら)や物を表す意味。
文の主となる言葉、主語
文の主(しゅ)となる言葉が主語です。
文章のキーとなる言葉としても、代表的なものです。
この主語から、文の意味が始まっていくことになります。
主語と述語を確認する場合、最初に述語をおさえるのが基本です。
主語は文のどの位置に記されるか決まっていないのに対し、述語はほとんどの場合、文の終わりに記されるからです。
文法的な主語の基本の形は、「~が」、「~は」です。
「が」は格助詞、「は」は係助詞
いくらか細かに言えば、初めて登場する主語の形が「~が」です。
「が」は格助詞です。
次にそれを主題、題目として示すのが「~は」の形です。話題として示すのですね。
「は」は係助詞です。
(格助詞等については、古典解説のこちらをどうぞ 品詞分解 助動詞の接続 古文が訳せるようになる)
主語、主題(題目)
主語と主題(題目)は、厳密には違うのです。
主題、題目とは話題の中心となる言葉、内容で、一文中では述語がそれを受けることになります。
係り受けです。
これにより、主題、題目の「~は」は、「~が」と同じように主語として位置づけされることが多いのです。
(活用形から説明すると、「は」という係助詞は、終止形で結ばれるんです。
【古典においては、連体形や已然形で結ばれる「係り結び」がありますね。】
「結ぶ」というのは、意味を成立させるということです。
終止形は、それで文を終えられるわけです。
つまり、「は」は、「が」と同じように、終止形で文を終えられる。
それで、「は」は、「が」と同じく、主語として位置づけされるんです。)
(こちらもどうぞ 主語「は」 主題 その意味と書き方をやさしく解説)
も・こそ・さえ・だけ・の・だって・まで
「が」や「は」におきかえられて、主語の扱いとなるものには、「も」「こそ」「さえ」「だけ」「の」「だって」「まで」などがあります。
これらも、文章中で、主題、題目となり、並列や強調の形をとります。
例文
彼も、文章を書いてみた。
彼女こそ、この事件のカギを握る人物だ。
彼さえ、あのことを知っていた。
彼女だけ、会議室に残っていた。
彼女の書いた文章を、彼は読んでみた。 ※この例文の主節は「彼は読んでみた」で、その従属節(修飾部)が「彼女が書いた文章を」です。
彼だって、逃げ出さなかった。
彼まで、会社を見捨てた。
主語の確認
例
今日、男が、海に向かった。
男が、今日、海に向かった。
海に、今日、男が向かった。
文末の「向かった」が述語です。
「男が」が主語です。位置は、違えど、主語と定められるのは、「が」という格助詞があるからです。
主語は、文の成分
文の成分の基本形は文節の単位になりますから、主語を「男」とはしません。
「男」は単語の単位です。
単語は辞書に載っている形ですね。
文節は、「今日ネ、男がネ、海にネ、向かったヨ」というように、「ネ」、「サ」、「ヨ」等で句切れる言葉の単位です。
上の例文は四文節ということになります。
読解する上で、いちいち、これが述語で、これが主語で、なんて読み方を、僕もするわけがありません。
しかし、僕の授業を初めて受ける生徒に、僕は必ず主語の確認作業をさせます。高校生でも、浪人生でも、社会人でもです。
これをやらないと、ただなんとなくの、主観で読む習慣から抜け出せないからです。
主観の読み方は、どうしても自分の好みで、文章を判断してしまいます。好みに合えば良い文章、気に入らなければ悪い文章、というように。
なんとなくの、主観による読み方では、読み取り方に波が生じるんです。
いくら沢山の良本を読んでも、気休め、自己満足となります。
もちろん、それでいいと思えば、それでいいわけなんですが、広い世界観はその先に広がっています。本当の読解力を身につけた先に。
本当の読解力を身につけるには、客観的、論理的な思考のスタンスを身につけることです。
そのためには、文法の理解が必要です。
いつでも、一定のスタンスで文字を見ることができるようになるからです。
それは、なんとなくではない、確かな力です。
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