菜の花や月は東に日は西に 読み方 与謝蕪村 その1
「形」とは、文字であり、書き方 そこに意味・内容がある
詩の一行は、とても、目立ちますよね。詩の場合の一行は、一つの意味のまとまり、一つの世界を示す形(かたち)です。
少し言い方をかえれば、一つの訴えたい意味、世界を一行書きという目立つ形で見せているんです。
形は、見え方であり、書き方です。
そこに意味・内容が成り立っています。
世界というものが存在しているんです。
一行で目立つといえば、俳句もそうですね。
俳句の形、書き方から、意味、世界を確認する
詩と同じ韻文(いんぶん)である俳句の形、書き方から、意味、世界を確認してみましょう。
例
菜の花や月は東に日は西に
与謝蕪村の有名な句です。
十七文字が、この世界のすべてを形づくっています。
それって、意味がつながっている、ということです。
意味のつながる十七文字でできているわけです。
ちょっと言い方をかえれば、この十七文字の言葉を使わなければ、この句の意味、世界は成り立たないってことです。
俳句を観察、分析する
蕪村のこの句を、観察、分析してみましょう。
菜の花や月は東に日は西に
「菜の花や」の「や」は切れ字です。
切れ字はミクロ的、あるいはマクロ的に、世界がそこで完成していることを表します。
つまり、意味がそこで成り立っている。
意味が成り立つということは、文字として記されていなくても、そこに主語と述語の意味が存在しているということです。
(意味の成立とは、主語と述語の意味が成り立っていることをいいます。)
意味の成立を確認する
ここの「菜の花」の意味の成立を確認してみましょう。
「菜の花」を主語として、述語はどういう意味になるでしょう。
花ですからね。
そうです。
「咲く」です。
菜の花(が咲く)や
「月は東に」と「日は西に」も、同じように、意味を確認してみましょう。
「月は」、「日は」って、主語の形になっていますから、述語を補えばいいですね。
でも、その前に、ちょっと待ってください。
「月は東に」、「日は西に」、この二つって、まったく同じ書き方をしていますね。
同じ書き方をしているということは、意味がつりあっている、ということです。
「月は」、「日は」は、主語として記されていますから、それぞれ、つりあう述語を補うことになります。
月は東に(昇る)
日は西に(沈む)
ただし、これだけでは、「菜の花や」を含めての全体の調和が成りません。
「菜の花や月は東に日は西に」、これが全体の完成形ですからね。
全体を細分化して見る マクロ、ミクロの関係性
「菜の花や月は東に日は西に」、この全体を細分化すれば、下の図のように見ることが可能です。
日本語は、前から後の係り受けがあります。
前の意味は、後に生きるんです。
下の図で、前から後の関係性を、そして、同じ並び(同じ位置)にある関係性を確認してください。
意味は、言葉の置き方から生まれるんです。
マクロ、ミクロの世界の関係性を確認しましょう。
図
月は東に
菜の花や
日は西に
上の図の、言葉の位置関係を見てください。
「菜の花」の世界と「月は東に日は西に」の世界はつりあっています。
もし、つりあわなければ、この句は壊れている、ということになります。
もちろん、この句は、壊れていません。
つまり、「菜の花」のミクロ的世界と「月は東に日は西に」のミクロ的世界はつりあいながら、一つのマクロ的世界を成り立たせている、ということです。
それが、「菜の花や月は東に日は西に」という世界です。
その2 に続きます → 菜の花や月は東に日は西に 読み方 与謝蕪村 その2
解釈文はこちら → 菜の花や月は東に日は西に 解釈 与謝蕪村を読む