客観と論理を支えるものは澄んだ心で、それは脳内思考

澄んだ心でなければ、読めない

語彙力をつけたり、文章の読み方を学んだりしただけでは、実のところ、客観的、論理的な思考はできません。

たとえ、その力を持っていたとしても、できない。

では、何が必要なのか。

澄んだ心。

これがなければ、客観的、論理的な思考の力は機能しません。

読解の基本のスタンスは、目の前のものを、受けとめよう、理解しようというスタンスです。

これは、真摯な心であり、澄んだ心です。

心とは、思考です。脳内思考です。

あらゆる思考の根本ともいえる澄んだ心は、客観的、論理的な思考そのものともいえます。

澄んだ心がなければ、目の前のものの解釈を誤るのです。

他者の声を真摯に受けとめる

他者の存在を理解しようとする際、自身が最も簡単にできることは、その声を真摯に受けとめることでしょう。

それは誠意であり、善意であり、謙虚な気持ち、やさしさです。その思考です。

自分自身を育てる良書は、他者の言葉

自身を育てる良書は、他者の言葉です。

それを理解しようと努める心、思考が、客観的、論理的な思考です。

心が曇れば、目が曇ります。

それは、脳が曇っているということです。

無知はもちろんですが、悪意や邪心(じゃしん)、我欲(がよく)を持って、客観的、論理的な思考、判断はできないのです。

どのような学問でも心を持って学ぶわけで、どのような仕事でも心を持ってあたるのが本道です。

生涯、自らを磨き続けられるのは、自身だけ

誠意や善意、謙虚な気持ち、その心は、個としての意思であり、思考です。

表向き、形だけを取り繕(つくろ)えるというものではありません。

何せ、実の中身、内面、内容を知っている自分自身を偽ることはできない。

それはなにもわざわざ道徳教育や倫理教育から得るものではなく、母語という言語による自分自身の思考の中にあると私は思います。

自分自身が一生、関わっていくのは自身が脳で扱う自身の言葉だからです。 

心は、思考です。

言葉の扱いを磨き、思考を磨くことは、まったくもって自分自身を磨くことでしょう。

生涯、自らを鍛え、磨き続けることができるのは自身だけです。

2021年1月19日「読解力向上 思考の周辺」

Posted by 対崎正宏