句読点とは? その意味がわかれば、文章の読み方、書き方が変わる
句読点の意味
。=句点(くてん)
、=読点(とうてん)
句点と読点をあわせて言う場合=句読点(くとうてん)
句点(。)と読点(、)の役割は、文を読み違えないようにするため、読みやすくするため、意味の句切り、といったところです。
おそらく、ほとんどの人がそれを知っていることでしょう。
みなさんが目にする文章のほとんどには、句読点(くとうてん)が打たれています。
現代文に限らず、古文や漢文でも。
しかし、ほとんどの人が句読点の重要性についてはあまり意識していないようです。
句読点は文章中にいつも当たり前にあるから。
当たり前にあるものに、人の目はなかなか留(とど)まりにくいものです。
じつは、そこに、読解や記述の落とし穴があります。
読み方、書き方は、考え方
ところで、古文や漢文、これらの文章中の句読点も当たり前にあるもの、と思っているでしょうか。
元々の文を原文(げんぶん)といいますが、古文や漢文のそれには、今使用されているような句読点は付いていません。
今みなさんが読む古文や漢文の多くは、近代、現代の人間が句読点を付(ふ)したものです。
だから、同じ作品でも、句読点の付け方に違いのあるものが存在します。
特に、漢文では、ある箇所に句点を打って、文を終わらせているものもあれば、そこに読点を打って、次の内容と一続きの文にしているものもあります。
書き下(くだ)しなど、ただでさえおぼつかない初学者は、それでさらに混乱してしまうのですね。
読み方です。
古典の文章での、句読点の打ち方の違いは、研究者の読み方の違いによって生じるのです。
読み方は、考え方なのです。
そして書き方も。
それは、古典であろうが、現代文であろうが同じこと。
考えることができれば、読めるようになります。
考えることができれば、書けるようになります。
考えられることによって、捉えられる意味が、表出できる意味が、違ってくるからです。
句読点は、書き手の言葉のつくり方を示すもの
句読点への意識がない、というのは、書く段になった場合、如実(にょじつ)に表れます。
句読点の打ち方が乱雑になる。
一貫性、統一性がない。
一つの意味、世界をつくれていないのです。
それは、意味・内容がねじれる、ということでもあります。
なにしろ、句読点は最初からあるものではない。書き手が、考えて、打つものだから。
書き手に、句読点への意識がないのであれば、それについて考えないわけで、その打ち方が乱雑になるのは当然のことです。
しっかりした文章は、句読点の打ち方もしっかりしています。
それは、言葉のつくり方、意味のつくり方がしっかりしている、ということです。
句読点は、書き手の、言葉のつくり方、意味のつくり方を示す最たるものです。
句読点は、書き手の思考の足跡、といえるのです。
しっかりした文章であれば、句読点からも学ぶことができます。
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