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修飾語とは? 修飾語を書く意味 修飾語から読み取れること

#主語,#述語,#関係性

修飾語とは

 修飾語は、主語や述語を修飾します。

 修飾語は、(自分以外の【他の】)修飾語を修飾することもあるんですが、その場合でも、その修飾されている修飾語は、主語か、述語かを修飾しています。

 修飾語は、最終的に、主語か、述語かを修飾することになるのです。

例 

私は、かなりのんびり見ていた。

 上の例文で、「かなり」という修飾語は、「のんびり」を修飾し、「のんびり」という修飾語は、「見ていた」という述語を修飾しています。

「かなり」という修飾語に対して、「のんびり」は被修飾語です。

「見ていた」という被修飾語に対して、「のんびり」は修飾語です。

被修飾語という言葉は、修飾語という言葉に対しての関係性から成ります。

基本的に、修飾語は、修飾するもの(被修飾語)がなければ存在できません。

「存在」とは、意味を完成させるということです。

「存在」とは、何かしらのものと意味の関係性があること

「存在」について少し触れておきます。

この世に存在しているものは、言葉で成り立っています。

存在しているものは、何かしらのものと何かしらの関係性をもって存在しています。

「存在」とは、何かしらとの意味の関係性であり、それによる完成の形(かたち)なんです。

修飾語とは、その「存在」するものと関わる言葉なんです。

修飾語がなくても、文は書ける

少し視点を変えて、考えてみましょう。

 

私は、ゆっくり食べた。

「ゆっくり」という修飾語が、述語の「食べた」を修飾しています。

 修飾語は、修飾する行き先、つまり主語か、述語がなければ、存在できない、これは、修飾語は書かずとも、主語と述語の意味が存在していれば、文は書ける、句点は打てる、ということです。

例 

私は、食べた。

「私は」が主語で、「食べた」が述語です。

食べた。→ 誰が「食べた」のか。→ 「誰が」にあたるものが主語であり、主体です。

 文の意味とは、主語、あるいは、述語の意味、さらに言ってしまえば、主語の意味ともいえるんです。

 述語の表す意味は、動作、作用、存在、心情、性質、状態、事物であり、それらは主語の意味、主体の意味です。

 主語の文字が記されてなくとも、述語の明記により、主体の意味は存在します。

 

私は食卓についた。そうして、(私は)ゆっくり食べた。

 修飾語が記されているということは、それが修飾している主語、または述語が強調されている、ということです。

 主語、述語が修飾語により、特別な意味を持たされている、ということなんです。

 その強調の言葉、特別な意味の言葉こそが修飾語です。修飾語を軽(かろ)んじていいわけがありません。

修飾語を書くということの意味

修飾語を書く、ということの根本の意味を理解しましょう。

 

 私は、食べた。

〇 私は、ゆっくり食べた。

それぞれの文の意味の違いは明らかですね。

「ゆっくり」が、「食べた」に特別な意味を与えています。

そして、その「食べた」という動作主は、主語である「私は」です。

 もし、文章中で、「私は、ゆっくり食べた」という一文を記すとすれば、「私」が「ゆっくり」「食べた」理由を、必ず書かなければいけません。

必ずです。

もし、それを書かなければ、文章は破綻(はたん)することになります。

 

 私は彼からの返事を待つ間、気もそぞろだった。だから、ゆっくり食べた。どうにかして気を落ち着かせたかったのだ。

 もちろん、理由を書く位置は「食べた」文の直前でも、直後でも構いません。

 何ページも離れたところだって、それは構わない。

 ただ、何ページも離れたところに理由を書くのなら、「ゆっくり食べた」こともまた書くことになりますね。

 結果から離れた位置に理由を書くのは、種明かし的な書き方になるわけで、小説の心の機微や事件の真相の描き方等はこれになります。