国語の問題の構成

ポイントが問題になる

 文章読解の問題は、ポイント内容を中心に作られます。

 ポイントとは、書き手の言いたいことです。

 しかしながら、ポイントと具体例は、表裏一体の関係ですから、ポイントの位置、具体例の位置、どちらの箇所に━━線を引いても、問題は作れるわけです。

 解答者としては、どちらの箇所に━━線が引かれていても、ポイント内容の意味をしっかりと理解して答える必要があります。

 それが、文章内容の把握です。

問題と答えの先読みは可能

 読解問題で、満点をとることは可能です。

 時間制限があっても、ポイントと具体例の書き方がわかれば、問題と答えの先読みもできますからね。 

 拙著「現代文〈評論〉の読み方」、「現代文〈小説〉の読み方」「本当の読解力を身につける50の方法」では、その「問題と答えの先読み」についても触れたわけです。

内容紹介 → 現代文〈評論〉の読み方(開拓社)  

     → 現代文〈小説〉の読み方(開拓社) 

「本当の読解力を身につける50の方法」 では、文法からの多面的な読み方や、━━線の問題の作られ方や、━━線のない問題の解き方、指示語の答え方、記述解答の解き方、書き方、等等、いろいろな問題の解答方法を取り上げています。

内容紹介→ ついざき式 本当の読解力を身につける50の方法(KADOKAWA) 

 文章の先読みについては、「大人の『読む力』」でも、「文章の内容の予測」として書きました。

 なにしろ、「予測」は、論理的な思考力です。

内容紹介 → 大人の「読む力」(日本実業出版社) 

日本語の書き方

 日本語は「上から下に」、「右から左に」書かれます。

 それは、基本的に、「上からの意味が下で完成し」、「右からの意味が左で完成する」ということで、「上の意味(文字)がなければ、下の意味(文字)は成り立たず」、「右の意味(文字)が存在しなければ、左の意味は生まれない」ということです。

 ポイントは、この流れの中で意味を持つんです。

 文章の流れの中で、もし、「一文字」が変わってしまったら、その後の意味内容は成り立たなくなってしまうわけです。

 文章全体が壊れてしまいます。

 抜けている文を、元あった箇所に戻せ、というような脱文挿入の問題に限らず、すべての問題は、「本文」を尊重した上で作られているんです。

 問題は、問題作成者の勝手な解釈、都合のいい想像から作られるものではありません。

全体は部分から成る

 文章の「全体」とは完成したもので、それは完成した「部分」から作られています。

 入試問題等では、一冊の本のある「部分」から問題が作られるわけですが、その「部分」は完成した「部分」だから、問題作成が可能であるわけです。

 もし、「部分」が壊れていたら、それは本「全体」も破綻(はたん)しているということです。

「部分」は「全体」を表しもするんです。

 問題作成者は、問題を作成するにあたって、まず入念に本を選択するところから始めます。

 当然、優れた「内容」のものを使いたいと思うわけですが、「内容」が優れているということは、「形式」も整っているということなんです。

「内容」、「形式」、そのどちらかに破綻があれば、それは「全体」も、「部分」も壊れているということです。

 入試問題等では、「内容」も「形式」も完成された文章が選ばれます。

 そのような文章でなければ、解答を作成することができないからです。

文章が気づかせてくれる

問題で扱われる文章の多くは、優れた内容です。 

創造的な意味・内容が記されているものです。

それは、解答者が将来歩む道につながるものでしょう。

調査、研究、創造、発明につながる道です。

広大な世界を考える道です。

それは、多くの人の幸せにつながる未来です。

優れた文章は、それを気づかせてくれる力を確かに持っています。

ポイントと具体例

 入試問題等で扱われる評論や論説といった文章は、ポイントの文と具体例の文に大別することができます。

 小説の文章は、具体例の文から成り立っているということができます。

 事件・出来事、主人公の行動、心情が書かれるからです。

 これらは、みな具体的な内容と言えますね。

 だから、小説は、行間にポイントが秘められるんです。

 もちろん、評論や論説文にも、行間の意味は存在するんですが、小説に比べると、それは見やすいんですね。

 何しろ、できるだけわかりやすく詳細に書くのが評論や論説です。

 だから、一つのポイント内容を繰り返し繰り返し、多角的に、深く掘り下げて、説明するんです。

 それを、冗長などとは言いません。

 内容を理解しよう、とするのが読む側の姿勢であり、努力です。

小説の行間

 本来、小説は、あからさまに訴えを書くと、白けてしまって、つまらない作品になってしまうものです。

 上手い書き手であればあるほど、ただ、登場人物を動かし、事件・出来事を展開させていきます。

 訴えを、はっきりと文字にしてしまうようなことはしません。

 行間に秘めて、読み手に感じさせようとするんです。

 行間の意味、というのは、あくまでも、目の前の文字から生まれる意味です。

 目の前の文字から離れての、好き勝手な想像による解釈ではありません。

考えられる脳

 学問、それに通じる思考は、閉じたものではなく、開かれたもので、どんどん広がっていくものです。

 発展、創造、発明につながっていくものです。  

国に、政治に、いいように振り回されぬように。 

考えられる脳は、自分自身で磨いていくしかないんですよね。

2021年3月6日「雑記帳」

Posted by 対崎正宏