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行間を読むということ 行間の意味とは?

#主語,#修飾語,#型,#基本,#述語

「行間」は、書き手がつくりあげている

本文に記されている文字、意味、関係性から、行間の意味は生まれます。

本文から導けない意味は行間の意味ではありません。

それを、深読み、などとは言いません。

関係ない一つの意味を持ちこめば、本文全体の意味は壊れてしまいます。

瑕疵(かし)のない文章は、書き手がつくりあげた一つの世界です。

この世界は、マクロ的に意味が完成したものです。

マクロ的な意味の完成は、ミクロ的な意味の完成から成ります。

だから、その一部でも壊れれば、全体の意味は壊れてしまうのです。 

上記は、大人の「読む力」(日本実業出版社)の第二章「行間の意味」の最終部の原形(本来の姿)です。

以下は、このサイトのために記しました。

行間の意味は、書き手の言葉によって作られている

瑕疵のない文章とは、書き方に誤りのない文章のことで、それは、行間の意味も含めて、完成した形となっています。

瑕疵のない文章は、瑕疵のない文章を書く力のある書き手によって作られた一つの世界です。

行間を読みとる、という作業は、目の前に記されている言葉から、見えていない言葉を呼び起こす作業です。

これは、読み手の力によって、書き手が作りあげた世界を、完成させる作業、となります。

書き手が作りあげた世界を見る。

それが「読む」という行為なのです。

行間は、目の前に記されている言葉からできています。

その言葉は、書き手によって置かれた言葉です。

行間の意味は、目の前に記されているその言葉から導くことになります。

目の前の文章は、行間の意味も含めて、書き手の作りあげた一つの世界だからです。

読み手の勝手な言葉の補いは、書き手が意図した意味、世界を壊すことになります。

行間の意味のかん違い

行間の意味をかん違いしている人がかなりいます。

この作家は、ちょうど、この作品を書いていた時、借金をしていたんだとか、病気をしていたんだとかいうのは、行間の意味ではありません。

目の前の文章は、目の前の言葉によって成り立っているのです。

目の前の文章を、ありのままに読んで、真っ直ぐに評価してもらえなかったら、書き手も気の毒です。

ビジネスであれば、双方に誤解が生じる可能性大ですよね。

行間の意味を理解する

行間の意味は、どのようにして生まれるのか。

それが理解できれば、読み取ることも容易にできます。

記されている言葉が、行間の意味を呼び起こす

行間の意味を作っているのは、目に見える文章であって、その文章は書き手の思考が「形」となったものです。 

行間の意味も、書き手の思考からできたものです。

書き手によって記された言葉の中に、行間はあります。

行間の意味は、記されている言葉によって呼び起こされるのです。

記されている言葉が、自らの世界を完成させるために、記されていない言葉を呼び起こすのです。

それが、力のある書き手によって書き上げられた文章というものです。

書き手と読み手が共に認識できるもの、それは目の前の言葉

目に見える文章は、目に見える一つひとつの言葉から成っています。

それは、書き手と読み手が共に認識できるものです。

その共に認識できるものの中に、行間の意味もあります。

だから、読み手も、書き手の作りあげた世界を、見ることができるのです、その力さえあれば。

行間の意味の導き方

記されている言葉から、記されていない何を、読み手は導けばいいのか。

それは、記されていない文の成分です。

述語や主語、修飾語といったものです。

読む側が、それに気づかなければ、書き手のつくった意味、世界を読み取ることなどできません。

このサイトでも、くりかえし記しているように、主語と述語が、意味を成り立たせる基本型です。

そこへ、さらなる意味を付加していくのが修飾語です。

意味は、世界であり、時空間です。

記されている言葉は、意味の完成のために、記されていない言葉を求めるのです。

大人の「読む力」では、行間の意味を視覚化

拙著、「大人の読む力」では、行間の意味がどのように生まれるのかを、視覚化しています。

行間の読み方を、目に見える「形」にして、やさしく解説しています。

大人の「読む力」(日本実業出版社)

2022年6月10日「雑記帳」#主語,#修飾語,#型,#基本,#述語

Posted by 対崎正宏