お疲れ様の言葉 挨拶の意味 ビジネス社会の感動詞
挨拶の意味
挨拶の意味を、文の成分、品詞から考えてみましょう
お疲れ様、おはよう、さようなら、などは独立語で、感動詞です。
挨拶の言葉ですから、挨拶語などとも呼ばれますね。
(挨拶語は、文の成分ではありません。主語・述語・修飾語・接続語・独立語が、文の成分です。)
今回は、この挨拶語についてです。
二人の会話から
かなり以前のことですが、私は、ある所で、こんな二人の会話を聞きました。
「階段をおりてきたところで、『お疲れ様!』って、言われたんで、思わず笑っちゃったよ。だって、俺、全然、疲れてなんかないもの」
「お疲れ様に、べつに意味なんてないんだから、どうだっていいんだよ」
「ああ。だから、俺も何も返さなかったよ」
「お疲れ様」という挨拶語についての会話でした。
どうでしょう。
二人とも、一方的なものの言い方をしているでしょうか。
ただ思いやりのない会話のように聞こえるでしょうか。
ビジネス社会 「お疲れ様です」は、目上の人間に対して使用可能
ちなみに、「お疲れ様です」は、現代のビジネスの場において、目上の人間に対して使用可能の言葉です。
挨拶語は、感動詞
挨拶語は、感動詞です。
お疲れ様!
挨拶語であるこれも感動詞。
感動詞は、とても強い意味を持っています。
強い意味を持っているということは、深い意味を持っているということです。
前述の二人のように、「お疲れ様!」に、もし、意味がない、意味を感じられない、というのであれば、本来そこにあるべきものがないということです。
それは何か。
感動です。
心の動きです。
挨拶語は、感動詞ですからね。
心が動く、心が動いている、心が動いた、あるいは、心を動かす。
たった一語で、それが可能な言葉、それを表すことのできる言葉、それが感動詞なんです。
挨拶には「意味」が生じる
挨拶に意味が生じるのは、その言葉自体に意味があるからです。
意味のない言葉など、一つもありません。
「が」だって、「は」だって、意味があります。
先の二人の話で、心の動きがなかったのは、「お疲れ様!」と声をかけた側だったのか。
声をかけられた側だったのか。
はたまた、両者ともにだったのか。
それはわかりません。
しかし、顔も上げない突慳貪(つっけんどん)な「お疲れ様」より、気持ちのこもった「お疲れ様」のほうが、意味がありますよね。
心が動きます。
そして、挨拶を無視するより、気持ちよく応えたほうが、人間関係は潤いますよね。
「よう!」
「またね!」
「ありがとう!」
たった一言(ひとこと)です。
しかし、その一言のあるなしで、その場の空気は変わります。
人間関係の将来まで変わるでしょう。
挨拶語という感動詞が持つ深い意味とはこれなんです。
挨拶で、人の心は動くものなんですよね。
だから、挨拶を無視されれば、傷つきもするわけです。
挨拶語という言葉を扱う人間
挨拶語という言葉を扱うのは人間です。
挨拶語、という感動詞を、意味のある言葉にするもしないも、それを使う人間にかかっています。
心がなければ、言葉は生きません。
先の二人の話を振り返ってみれば、たとえ感動詞や言葉の知識は持たずとも、心があれば、「おつかれさま」の意義は保たれたような気がします。
挨拶の重要性は、仕事のできる人、つまりは心を持っている人ほど、わかっているようです。手紙・メールにも、それは顕著にでますよね。
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