「ない」の識別 その先にある読解と思考
「ない」から、どのように読めるのか
「ない」をただ識別できるだけでは、一問一答式のテストやクイズでしか役に立ちません。
それでは、ただの暗記と変わりません。暗記は、思考力ではありません。
「ない」から、どのように読めるのか。
目の前の言葉は、そこから思考し、自身の言葉にできてこそです。
文法は、読解、記述、思考へとつながるものです。
カテゴリー「日本語 文法を基礎から読解、記述へ」の初回からの基本内容を、前回記した「ない」の例文を使った例文の読解に生かしてみましょう。
例
A 朝、街は美しくない。
B 朝、私は走らない。
「ない」の識別
まずは、「ない」の識別からです。
Aは、「形容詞」の「ない」です。形容詞、助動詞の連用形に接続して、その意を否定します。
Bは、「助動詞」の「ない」です。動詞、助動詞の未然形に接続して、その意を否定します。
※スマホを横向きにしてご覧ください
形容詞の「ない」 → 「ぬ」と置きかえられない → × 美しく「ぬ」
→ 直前に、助詞がある → 美しく「は」ない
→ 直前に、助詞がなければ、助詞を補うことができる → 美しくない → 美しく「は」ない
助動詞の「ない」 → 「ぬ」と置きかえられる → 〇 走ら「ぬ」
→ 直前に、助詞がない → 走らない
→ 直前に、助詞を補えない → × 走ら「は」ない
文法をただの知識で終わらせない
文法をただの知識で終わらせてはいけません。
そこから、読解しましょう。
読解力とは、思考力です。
ここで、Aの例文の「ない」を使って、読解してみましょう。
短文ですし、難しい言葉も使っていませんから、誰でも、読解できますよね。
形容詞の「ない」
品詞が意味を持っているということは、これまでの、カテゴリー「日本語 文法を基礎から読解、記述へ」で確認しましたね。
例
A 朝、街は美しくない。
形容詞「ない」が接続しているのは、「美しく」です。
「美し」いは、形容詞です。
形容詞は、状態を表します。
つまり、Aが表している一つの意味は、「朝」の「街」の状態です。
それが、「美しくない」んです。
また形容詞は、性質を表します。
つまり、Aが表しているもう一つの意味は、「朝」の「街」の性質です。
それが、「美しくない」んです。
それからまた形容詞は、心情を表します。
つまり、Aが表しているさらにもう一つの意味は、「朝」の「街」を見た書き手の心情です。
それが、「美しくない」んです。
この文は、書き手が「美しくない」と思っているんです。
述語という文節
例
A 朝、街は美しくない。
述語は何かと問われれば、おそらく、多くの人が、即座に、「美しくない」と答えることでしょう。
でも、その中身を、その先を考えようとはしない。
そこに、落とし穴があります。
文法を知識止まりにしてしまうんです。
文法は、読解、記述、思考に使えてこそ生きます。
「美しくない」の「ない」は、形容詞ですが、さらにいえば、補助形容詞です。
直前に記している形容詞(ここでは「美し」いですね)の意味を、補助する形容詞です。
本動詞、補助動詞と同じような関係になります。
文の成分の基本は文節です。
文節の先頭は自立語です。
Aの「ない」は形容詞で自立語だけれども、補助形容詞だから、ここの述語は「美しくない」になるんです。
※ ペンがない。→ この「ない」は、形容詞です。(補助形容詞ではありませんよ。)
ペンがある。→ この「ある」は、動詞です。
犬がいる。→ この「いる」は、動詞です。
「ない」という状態を表すのは、形容詞です。
「ある」、「いる」という存在を表すのは、動詞です。
文の成分からの読解
ここで、文の成分に、あらためて注目してみましょう。
例
A 朝、街は美しくない。
B 朝、私は走らない。
「朝」は修飾語です。
この修飾語は、Aでは「美しくない」を修飾し、Bでは「走らない」を修飾しています。
「朝」、「美しくない」んです。
「朝」、「走らない」んです。
「美しくない」、「走らない」という被修飾語は、述語ですね。
述語は、主語の意味を完成させるのでした。
述語は、主語の意味を表すのでした。
Aの主語は、「街は」です。
「朝」、「美しくない」のは、「街」です。
次に文が続くのであれば、その「街」の意味が生きることになります。「街」の意味とは、「朝」、「美しくない」です。
しかしながら、そこには、書き手の存在が隠れているんです。「美しくない」は、書き手の主観です。
形容詞という言葉があるから、そう言えるんです。
これは、客観的、論理的な見方です。
(お気づきでしょうか。
そうなんです。)
客観的、論理的な読解も記述も、目の前の言葉の理解がなければ成り立たないんです。文法からの言葉の理解が必要なんです。
また、その理解があれば、客観的、論理的な思考ができるということです。
どんな言葉でも、そこに意味があるんですからね。その意味から、自ずと思考は始まるわけです。
書き手の存在
書き手の存在は、古文の敬語でも学習した覚えがあるでしょう。書き手からの敬意という書き方です。
文章というものには、必ず、書き手の存在があるんです。
だから、客観的、論理的に読む力がなければ、文章に呑み込まれてしまう恐れは多分にあるんです。
Aの例文に対して、Bの例文には、「私は」というように人間が表に出ていますね。
それにより、多くの人は無意識に、読み方が変わるんです。
読点からの読解
今度は、文中の読点(、)に注目して、読み解いてみましょう。
この読点を基点にして、意味のバランス確認をするんです。
しっかりした文章なら、それが可能です。
そもそも、読点は、意味もなしに打つものではありません。
読点を打つ箇所には、意味が存在しています。
読点を打つ箇所には、意味のバランスが生まれます。(意味の破綻のないしっかりした文章であれば。)
つまり、ここの例文の読点で、意味のバランス確認ができる、ということは、ここの例文の読点が、無意味に打たれているのではない、という証拠です。
例
A 朝、街は美しくない。
B 朝、私は走らない。
「朝」=「街は美しくない」んです。
「朝」=「私は走らない」んです。
つまり、「朝」でなければ、「街は美し」いんです。
「朝」でなければ、「私は走」るんです。
こういった意味が、次に文が続けば、記されることになります。
(自身が書き手であれば、記すことになります。)
もちろん、第二文に記されるとは限りません。第三文かもしれないし、第四文かもしれない。次の段落かもしれないし、次の次の段落かもしれない。いずれせよ、必ず記されます。もし、記されなければ、意味の流れが破綻することになります。
そこにある意味の流れとは、論理です。
こちらもどうぞ → 助動詞「ない」 活用からの読解 助動詞「う」助詞「は」の見方
品詞による文章読解の解説はこちら → 読解力 文法の使い方 品詞の読み方