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これも仁和寺の法師 徒然草 第53段 現代語訳と原文

#吉田兼好,#随筆

吉田兼好の随筆、「徒然草」です。

第52段が「仁和寺の法師」で、それに続いての第53段、「これも仁和寺の法師」です。

御室桜でも有名な仁和寺ですね。

「第52段」と仁和寺についてはこちらをどうぞ

徒然草 第52段 仁和寺にある法師 原文と現代語訳  

徒然草 第53段 原文

 これも仁和寺の法師、童(わらは)の法師にならんとするなごりとて、各(おのおの)遊ぶ事ありけるに、酔(ゑ)ひて興に入(い)るあまり、傍(かたはら)なる足鼎(あしがなへ)をとりて、頭(かしら)にかづきたれば、つまるやうにするを、鼻をおし平(ひら)めて、顔をさい入れて、舞ひ出でたるに、満座(まんざ)興に入る事限りなし。

しばしかなでて後(のち)、抜かんとするに大方(おほかた)抜かれず。

酒宴ことさめて、いかがはせんと惑(まど)ひけり。

とかくすれば頸(くび)のまはりかけて、血垂り、ただ腫(は)れに腫れみちて、良きもつまりければ、打割らんととすれど、たやすく割れず、ひびきて堪(た)へ難(がた)かりければ、かなはで、すべきやうなうて、三足(みつあし)なる角(つの)の上(うへ)に、かたびらをうちかけて、手をひき杖(つゑ)をつかせて、京(きゃう)なる医師(くすし)のがりゐて行きにけり。

道すがら、人の怪(あや)しみ見る事限りなし。

医師の許(もと)にさしいりて、対(むか)ひゐたりけんありさま、さこそことやうなりけめ。

物を言ふも、くぐもり声(ごゑ)にひびきて聞こえず。

「かかることは文(ふみ)にも見えず、つたへたる教(をしへ)もなし」といへば、また仁和寺へ帰りて、親しき者、老いたる母など、枕上(まくらかみ)によりゐて、泣き悲しめども、聞くらんとも覚えず。

かかるほどに、或者(あるもの)の言ふやう、

「たとひ耳鼻(みみはな)こそ切れ失(う)すとも、命ばかりはなどか生きざらん。ただ力を立ててひき給へ」とて、藁(わら)のしべを、まはりにさし入れて、金(かね)を隔(へだ)てて、頸(くび)もちぎるばかり引きたるに、耳鼻(みみはな)欠(か)け穿(う)げながら抜けにけり。

辛(から)き命まうけて、久しく病(や)みゐたりけり。

徒然草 第53段 現代語訳

 これも仁和寺の僧(の話しであるが、その僧)が、(仁和寺にいた)稚児(ちご)が僧になろうとするお別れだというので、(僧たちが集まって)めいめいに芸をすることがあったときに、(酒に)酔っておもしろさに調子づいたあまり、傍にある足のついた釜をとって、頭にかぶったところが、つかえるようになるのを、鼻を平に押さえつけて、顔を釜の中に入れて、舞って(座中に)出たので、座の者はみな、この上なくおもしろがった。

しばらく舞って後、釜を抜こうとするのに、いっこうに抜けない。

酒宴も興がさめて、どうしたらよいだろうと途方にくれた。

(抜こうとして)あれやこれやすると、首のまわり(の皮)が欠け取れて、血が垂れ、ただ腫れに腫れて、息もつまったので、(釜を)たたき割ろうとするけれど、容易に割れず、(頭に)響いて堪えられなかったので、(釜を)割ることができなくて、どうしようもなくて、三本足の(釜の)角の上にかたびらをかけて、手を引き杖をつかせて、京の医者のもとにつれていってしまった。

道中、人が不思議がって見ることはこの上ない。

医者のところに入って、対座していたであろう有様は、さぞや風変わりであったろう。

何か言うのも、はっきりしないくぐもり声に響いて聞こえない。

(医者も)

「こんなことは医書にも見えないし、伝えている教えもない」と言うので、また仁和寺に帰って、親しい者や、年をとった母などが、枕もとに集まり座って、泣き悲しむけれど、(釜をかぶった彼がそれを)今聞いているであろうとも感じられない。

こうしているうちに、ある者が言うことには、

「たとえ耳や鼻がちぎれてなくなるとしても、命くらいはどうして助からないことがあろう。いちずに力をこめてお引きなさい」と言って、(それに従った者たちが)藁の茎を(首の)まわりにさし入れて(釜の)金との間に隔てをつくって、首もちぎれるほど引っぱっていると、耳や鼻が欠けて穴が空いたままで、抜けてしまった。

危うい命を拾って、(その後)長く病気をしていた。

2022年6月9日「雑記帳」#吉田兼好,#随筆

Posted by 対崎正宏